結果は、原因がなければ結果にならず、
原因は、結果がなければ原因として成り立たない。
ある人のことが気になってしょうがない。
彼女はいわば私の罪の象徴のような存在だった。
「あなたは自分で自分にこれを行なっている」
コースの言葉によれば、
罪が自分にあると信じることが苦しくて、
それを自分の外にいる存在/彼女に擦りつけたのだ。
今、それを私の元へ戻そう。
原因は、私なのだから。
動きを止めて、心を静かにする。
彼女をイメージし、彼女を私にだんだんと近づかせ、私の中に引き戻していった。
彼女が私の胸の中に入ってくる。
静かに。。。静かに。。。
閉じているまぶたの中が明るくなってくる。
心が軽くなってくる。。。
目を開けるといつもの風景。
心の中の彼女は消えていた。
私が作り出した結果は消えていた。
結果がそこにないということは、それを引き起こした原因もない。
原因とは私に罪があるという信念。結果が消えると、そこに原因は存在しようがないのだ。
私の中の罪が消えた。。。?
わからない。
けれどもそれまでそこにあった重苦しさが全く消えていた。
反対に、胸の中にさっきまでそこになかった力を感じる。
私は自分にもともとあった力を、その人に預けていたのかもしれない。
あの人のせいで私は苦しんでいるという信念は、
いわばその人に自分の力を渡していたとも言えるのではないか。
彼女と私という風に分離していたものが、一つになる時、原因と結果が一つになる。
いや、逆だ。
原因と結果が一つになる時、私と彼女は一つになる。
もともと一つであったものが分かれているように見えているこの世界。
分離で成り立っているこの世界は、常に原因と結果を分け、時間を引き起こす。
しかしコースはいう。
実相の世界では、原因は神。結果は神の子。
それは一つ。互いにその存在を喜び合い、永遠の無限の創造を広げていく。
私に罪はなかったという無罪性を教えられる。
私に罪がない時、彼女にも罪はない。
そしてまたこうも教えられる。
無因性ものは実在しない。
自分が犯した罪から神を恐れるあまり、
投影という形で外に放り出したものを、
一つ一つ私の中に呼び戻していく。
呼び戻し始めると、この世界での原因/罪はなかったと、
なかったことを確認していく日々。
静かで穏やかな秋がやってくる。
絵:「センブリ」
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