明け方、大雨が降っていた。
目の前の川が氾濫するのではないかと、いつもなら怯える。
だけど先日の言葉があった。
「あなたが不安である時、不安感は自我の気まぐれから生じると認識し、
こうである必要はないと知りなさい」
ただ自我が、おそれを吹聴しているだけだ。
その言葉には何の力もない。
だけど心には力がある。
それは神の子の機能、創造する機能の一部が、
作出という形で表される。
だから自我によって吹聴された恐れを心の作出能力が作り出す。
そういう仕組みになっていると、明け方に教わった。
だから恐れは本当は機能しない。
だけどそれを受け入れた心がそれを生み出し、表してくる。
だから恐れたことは正しいと思わせていたのだ。
心と形が連動するのはそこだ。
だから心を変えていく。
恐れを自我の戯れだと気づき、関わらない。
恐れを許していく。
こうである(恐れがある)必要はない。
安心の中で再び眠りに落ちた。
目がさめると、雨は上がっていた。
絵:雨上がりの庭園
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