書道家さんが、書を書き、それをうちの旦那がビデオで撮る。
彼女は愛を書で表現し、彼が彼女の愛を受け取る。
愛は受け取られて広がり、彼女に返され倍増し、
愛は二人を超えてどんどん広がっていく。
その二人の様子を私はそばで見ていた。
愛の交流はこうやってなされていくんだ。。。
目には見えない親交がそこにあった。
昨日、笙を吹く人がうちに来た。
彼女は自ら筒になって笙を吹く。
笙は光を呼び込む音。
聴こえない音/光が、形のない本来の私たちを呼び寄せる。
見えない彼女と、見えない私たちと、見えない自然が交流する。
愛の親交。ダイナミックなうねり。とてつもない喜び。
こっちがメインだ。。。
これが本当に実在するものだ。。。
神はこれだけを観ている!
肉体の目に見える書も、聴こえる笙の音も、本当のもののきっかけに過ぎない。
神を思い出すための。
そこには優れているもの、優れていないもの、そんな比較はない。
それは裁くことであり、自我の世界のものだ。
それが私を長い間苦しめてきた。
裁かれる恐れの中で生きてきた。
でもそれをしていたのは自分。
自分が恐れを作り出し、その恐れに恐れ続けていただけだった。
だが私には選択ができる。
恐れを作り出したのが私なら、それを退けることができるのも私だ。
私は恐れを選ばない。愛を選ぶ。
神が観ている世界を。
絵:「初夏の庭園」
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