2020年12月7日月曜日

ギフト


 

いつも行く金毘羅さん、

昨日は月一度あるピクニックの日。


結構な坂道に、最後に心臓破りの階段。

鳥居をくぐると、汗だくで息もゼーゼー。


まだ息があらいまま、竹箒で落ち葉を掃除する。

冬も深まってきて、汗ビッチョリの背中が冷えてくる。

「風邪、引く?」とチョチョ心配しながらも、

黙々とビールケースを運んでピクニックのテーブル作りに勤しむ。


神社の中では、神主さんがお知り合いの合格祈願のお祓いをズームを通してやっている。

時代だなあ~。


もう一人の神主さんが、長い階段を重たい食材を背負って登ってきた。

途中まで迎えに行く。


寒い中、鍋を囲んでピクニックが始まった。

皆和気あいあい、話がはずむ。

汗はいつの間にか消えていた。


ここはいろんなバックボーンを持った人たちが来る。

オヤジ率高いが、上も下もなくみんな対等。


電気は来ているが、水道はない。貴重な水は大事に使う。

ピクニックの準備も、後片付けも、みんなさっさと慣れた手つきで終わらせていく。

最後は何事もなかったかのように、綺麗になった。




私はまた何かを受け取っていた。


何を受け取ったのかわからないまま下山、美しい時間が流れていった感覚だけが残る。


夜、お風呂の中で、今日出会った人々を思い出す。

一人一人を光で見ていると、あの場所全体が光に包まれた。


隣で話していたオヤジが、とても愛おしく感じる。

一人いつもおかしなことを言うオヤジも愛おしい。

「ああ、みんな同じなんだ。。。」

なんの肩書きもなんのアイデンティティもない、たったひとつの光。

全ては対等で、同じ。






私は何をもらったのだろう。

例えていうなら、一つの真っ白い箱をもらった感じだろうか。

開けてみると、何も入っていない。

でも入っていないがゆえに、それは何かで満たされている。


私たちはそこにケーキが入っていたり、何かが入っていることを喜ぶ。

でもそんなものは限りがある。食べれば消えてなくなる。


もうそんなものにフォーカスする必要はないのだなあ。

物質がすべてと思う必要はないんだ。



それがとても嬉しくて、嬉しくて、踊り出したい気分。

「私はこんな素晴らしいものを受け取った!」

と、声を出して宣言したいくらい。


その箱の中には、何も見えないが、喜びが詰まっていた。



喜びは、数多くある感情の中の、単なる感情の一つだと思っていた。

でもそうではないのではないか?


喜びはとんでもないパワーを持っている。



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