2018年5月10日木曜日

親孝行のかたち



「おまえをよろこばせちゃろか」

父がうれしそうに電話をかけて来たのは、父の死の三ヶ月ほど前だった。
「うんうん、よろこんじゃる。何?何?」

年明け、父は退院して家に戻り、その後手厚い訪問看護を受けていた。そのいつも来てくれる看護士さんが、ある日私のこのブログを見つけたのだと言う。
「ウチにある絵を見て、彼女はおまえの絵のファンじゃが、ブログがしょうおもしろいがやと!」(注:しょう=とても/高知弁)

父が私をほめることは滅多にない。理由は「おまえはすぐに調子に乗る」から。
だからその彼がわざわざ私にそんなことをいいに電話をかけて来たのにはおどろいた。うれしそうに何度も同じ話をする彼の笑顔が手に取るようにわかる。

たかがブログでそんなによろこんでくれるなんて。。。
と思った時、はっとした。
あ。これが親孝行だ。


ずっと私は親孝行が出来ていないと思い続けていた。
親孝行とは、親を旅行に連れて行ったり、本を出したり、有名になったりして、
「お父さん、どお!?こんな本を出したよ!」とか「こんなに有名になったよ!」とかいって、
「おお!おまえはすごいなあ~」
というふうに親をよろこばすもんだと。


一度だけ、父との旅行を計画したことがあった。母と離婚したあとの父をよろこばそうと、自分なりのツアーを考えた。まずは鞆の浦の古びた街並と瀬戸内の鯛を堪能し、海の次は山陰の山奥にある奥津温泉にまで足を伸ばし、棟方志功が晩年よく通ったという旅館を用意。私は父とふたり、冒険気分で行く予定だった。

ところが直前になって、別れたばかりの母が「私も行く」と言い出した。
父と私の分だけを用意したお金は、母が参入する事になって足りない。
けっきょく母の分は父に出してもらうという、なんともかっこ悪いことに。これじゃ親孝行にならない。おまけにまさに犬猿の仲まっただ中のふたりのあいだに挟まって、あっちの機嫌、こっちの機嫌と、どっちものご機嫌とりに右往左往する私。

遊覧船に乗ったとき、横に並んだふたりの、互いにそっぽをむいた顔が今でもうかぶ。
そして鯛づくしの豪華な夕食も、母の口にかかっちゃイチコロだった。
「いや。これ冷凍の鯛や。おいしゅうない。。。」
鞆の浦名物の鯛料理にことごとくケチをつける母。一気に気分も盛り下がる。
やっぱり連れてくるんじゃなかった。。。。と後悔すること山のごとし。

しかし最後の奥津温泉での料理は、母を唸らせた。
まず器が良かった。昔ながらの古い本物の漆器を大切に使っていた。その上に美しく盛られた料理のほんとうにおいしいかったこと!目と口のうるさい母は、このすべてに感激する。あとのふたりもツラレて感激する始末。まったくこの一家は、いつまでも母のノリにふりまわされる。
そうはいいながらも、床に入り川からあふれてくるはじめてのカジカの声に耳を傾けながら、母もつれて来て良かったとおもったものだった。

だがこれが父への親孝行になったとは到底思えない。父があの時どんな思いをもっていたのかは今は知るよしもない。

そんないきさつもあり、私は一度も父に親孝行をしていないと思い続けていた。
しかし今、それがひょんなことから親孝行が出来てしまった。
お金もかけない何の努力もしていない、好きなように好きなことを書いているこのブログのおかげで。

なんだ。。。こんなことだったのか。。。
肩から力が抜ける。
彼のうれしそうな声を聞きながら、ああ、これでよかったのだと、心底安堵した。


あとから叔母に聞いた話。
「お兄ちゃんは、つくしちゃんの記事が掲載された高知新聞を、毎月大阪に送ってくれてたんよ。あんたは自慢の娘!」
その昔、毎月シリーズで高知新聞に私の記事が掲載されていた。父はそれを余分に買って、わざわざ親戚に送っていたのだ。

そんなことも知らなかった娘。父の思いと娘の思惑は、どうしてこうもずれるのか。
きっと世の中は、互いの思惑の違いで、心に後悔や罪悪感を抱える親子がいるにちがいない。ほんとうは親孝行なんて大仰な思いを抱える必要もなかったのではないか。
「ただあなたが元気でいてくれるだけでいい」そんな風に親は思っているのかもしれないし、また子は子で、「親がいてくれるだけでいい」そう思っているだけなのかもしれない。


いつのまにか私たちは形で示すのが愛の表現だと思いはじめた。
ほんとうは最初に愛があり、その表現として形にあらわれただけなのに、いつのまにか最初に形ありきになってしまった。形を示さなければそれは愛ではないというまでに。

そうして人は形ばかりにこだわってしまった。逆に言えば、形さえ繕っておけばいいという殺伐としたものにもなりうる可能性もあるのだ。口先だけ、形だけになる世界に。

そしてまたご多分に漏れず、それが私の思っていた親孝行の形であった。厳密に言えばそれは父への侮辱でもあったのだ。
愛はとてもシンプルなものかもしれない。何かをすることによって、そこにいることを許されるのではなく、ただそこにいるだけでいいのだ。

私の場合は、ただ自分が楽しんでやっていることを、人を介して父も楽しんでくれていた。
父は父自身が楽しむというよりは、人がそれを楽しんでくれているのを見て、幸せを感じる人であったように思う。
父の死の間際にそれが知れたのは幸運だった。


あの親孝行の一件から、私は何かが吹っ切れた。父にたいする後ろめたさも後悔も懺悔も消えていた。
親孝行してくれてありがとうと言われたわけでもないのに、父が心底よろこんでいくれていることに気づけた。ひょっとしたらあれが一年前であったなら、私は気づけなかったかもしれない。

ことは自然に起こる。
たとえ大事な人がいなくなったあとでも、ある日ふと気づきが起こる。
それは孝行したい相手が生きていようが死んでいようが、その人にあったベストなタイミングで。

そしてそれこそが、この世が愛に満ちているあかしではないだろうか。





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