母はわたしが小学生の頃、毎週末室戸と高知を往復させ、とまりがけでひとりで塾に通わせていた。
片道2時間のバス。室戸の家に帰り着く頃には、夜中の12時をすぎた。
ときどきその話しをする母。今日それが彼女の罪の意識から来ているのだと知る。彼女は自分の独断で、わたしにかわいそうなことをしたと思いつづけていたようだった。
当の本人は「へ?」という感想。
確かに、2時間立ちっぱなしだったことも多々あったし、塾の授業も、チンプンカンプンだった(笑)。自分が何のためにこうして毎週通っているのか、意味もわからなかった。
しかしそのおかげで、根性ついたと思えたし、田舎と都会を行ききし、幼い子供の眼で両方の世界を観ることによって、視野も広がっていた。今から思えば、ニューヨークくんだりまでいけたのも、そのときの忍耐力のたまものといえるかもしれない。
そしてときには、
「おねえちゃん。バス停ついたよ」
と、爆睡しているわたしを運転手さんがおこしてくれる、人のやさしさも学んだ。
「むしろ、感謝してるよ」というと、
電話の向こうで、むせび泣く母の声が聞こえた。
すこしだけ、彼女の罪の意識がほぐれた瞬間だった。
絵:「COOPけんぽ」表紙イラスト/ピクニック
絵:「COOPけんぽ」表紙イラスト/ピクニック
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