しばらく、ブログを書くのを止めていた。
日々、心の変化はどんどん起こっていたが、あまりに繊細な変化なので、それを言葉にすると、ものすごい大づかみになっちゃうなあ~ってゆうのと、
この変化を言葉にしないで味わっていようというおもいがあったのかもしれない。
一日の間でわきおこって来る思考と感情を、時には巻き込まれて、時にはただ観察して。そういうことを繰り返していると、自分の中に出てくる感情や、思考に、パターンがあるのに気がついて来る。
今朝、
「あ、コタツ布団とホットカーペットを大型コインランドリーで洗いにいってこよっかな?」
って、思考がふと浮かぶ。
するとそくざに
「いや。止めとこう。車の運転が怖いし、あのホットカーペット、大き過ぎて洗えないかもしれし、溶けてきえちゃうかもしれないし、コインランドリーまでの道のりは通学路やから、生徒さんをひいちゃうかも知れないし。。。。」
と、怒濤のごとく心配の要素を思い起こすんだ。
今までのわたしだったら、その言葉に耳を傾けた。
「そうだそうだ。危ない危ない。それに今日は雨振ってるし、乾き切らんかも知れないし、それに雨でコインランドリー、人で一杯かも知れないし。やめたやめた」
と言うふうに。
わたしの自我は、どうも「恐怖あおり作戦」のスペシャリストのようだ。
「つくし、やめとき。あれやったら、あーなって、こーなって。。」
と、もし行動を起こせば、最悪の事態がやって来るよ、と、囁き続けるのだ。
自我の訴えに巻き込まれると、
「そうだそうだ。やめといたほうがええ。」といって、その声に同意する。
そういうことをずっと繰り返してきた。
それが「輪廻」というらしいことがわかってきたのは、つい最近の話しだ。
自動反応。
起こってくる出来事に、おなじように反応して、おなじように行動する。
するとおなじ結果を生み出す。
これが輪廻だ。
そこからの解脱は、
「その手にゃ乗らん」ことだ。
だから「大型コインランドリーで布団を洗う」というアイディアに「恐怖あおり作戦」で、いちゃもんを付けてきた自我さんに、
「その手にゃ乗らん」と、聞き流すことをした。
布団を車に積んで、運転している最中も、色々言って来る。
だけど、心を「今のここだけ」に置いた。
ただ運転する。ただ心の声を聞くだけ。
聞くけれど、ただ聞き流して行く。
終ってみれば、ただのたいしたことのない出来事だった。
だけど自我はそれを重要視する。
物事をどんどん深刻に導いて行く。
そういう「自我」の特徴に、とことん気づいていく。
その手にゃ乗らなくなって行く。
すると、だんだん気楽になって行く。。。
そんな日々です。
絵:「さるとりいばら」/ファンシーペーパー、和紙、水彩
ただ今開催している『つくし紙絵展vol.2』で、展示しております。
ただ今開催している『つくし紙絵展vol.2』で、展示しております。
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