2016年7月16日土曜日

ゴッホより〜、ふつーに〜、草が生えている方がっ、すっきーーーっ!




庭がジャングル状態である。
「おお!よくもまあ、ここまで大きく育ったものよ!」
ひとり植物の偉大さにほくそえむ。

と、おとなりを見れば、草ひとつないお家。白亜の豪邸。
やまんばの胸がちくりとする。

これはいわば、胸毛も脇毛もはえ放題の原始人と、脇毛も足毛もきちんとお手入れ済みの文明人が隣り合って座っているよーなもんだ。
よく見るとツル科の植物が、我が家の木をよすがにとなりの広々とした空間に進出しようと企んでおる。
「おっと、やばいやばい」

やまんばはフルヘルメットに軍手をはめて、重装備でジャングルに潜入した。

今朝までの雨でじっとり濡れている草の根元をぐっと刈る。ミミズがグニュ~~っと出てきた。何層にも重なった腐葉土で土がふっかふかになっている。

篠竹、クサノオウ、オニシバ、三つ葉、ツユクサ、ドクダミ、フジ、ミズヒキソウ、をガシガシ刈っていると、大葉やグラジオラスが顔を出した。
「お!」
まだつぼみのグラジオラスは、花瓶に生けとくと花が咲くはずだ。3本ゲット。でっかい大葉は、今晩の薬味に添えよう。


となりへ進出するツル科の植物(おそらく長いも)をひっぺがして、ものの10分でジェングル潜入終了~。

草を生やすのはよくない。
そういう観念がわたしの中にある。
しかしその観念よりも、草が生えている方が好き!という観念の方が勝っている。

そーはいってもよそ様の目が気になる。
草はやしたい。
でもはやしちゃいけない。
でもはやしたい。
でもはやしちゃいけない。。。
と、ぐるぐるするw

でもさ。
起こってしまったわけだ。
草はやかすほうを選ぶ、という行為が。

こりゃーもー、どーしよーもねえでしょ。

自我が訴える「ダメでしょ」攻撃を、ただ何もしないで、受け取るだけである。

常識より〜、ふつーに〜、非常識がすっきーっ!


さて。
今年9月にまた個展を開きます。
舞台は大阪です。
またおって、お知らせいたします。

今日の一枚はそのDMに使われる予定の作品です。
タイトルは『ヤマユリ』
ファンシーペーパーと、和紙と、水彩の合体作品です。
道ばたに咲いていた、大きなすすきの葉と、それをつたうツル科の植物と、ヤマユリの美しさにほれました。

ほらね。草ってうつくしーのよ。おほほ。






2 件のコメント:

  1. いつも楽しく拝見しております。『草が生えている方が好き!という観念』に共感です。我が家の敷地はイタドリや蕗やウドなどのいわゆる山菜だらけなのですが、山あいで山菜なんてそこらじゅうに生えているこの地域では「そんなもの全部引っこ抜いて綺麗にする(=花を植える)のが専らの主流です。が、背丈よりも大きく育ったそんな草たちにはなんとも言えない自然の魅力があるのです。なんというか、草たちの息づかいを、自由な意思を、感じます。ジャングルバンザイ!です。

    返信削除
  2. どんぐりさん、
    あなたのその感性、すてきっ!
    どこかから、わざわざ持ってきたものも良いですが、その地で勝手に育ってくるものは、何かしら、自然の力と彼らのよろこびが見え隠れしてますよね。
    「草たちの息づかい、自由な意思。。。」
    ステキな言葉をありがとうございました。

    返信削除