2016年5月22日日曜日

足りないものを足らすのが人生?


ちっちゃかった頃、親に気に入った服を買ってもらったとき、
天国にも昇る気分でうれしくてしょうがなかった。
毎晩、枕元にたたんでおいて、ながめてしあわせを味わっていた。
でもそれも2、3日で終わってしまう。
その服があることが普通になっちゃって、それからは枕元においてながめたりしなくなった。

それは大人になってからも同じだった。

人って、足りないと思ってたものが足りちゃったら、もうそれに興味がなくなる。

そこにそれがあるのが普通になっちゃって、
前みたいに、
「ああ、これが足りない、、、どうしよう〜」
ってな思いが、頭に浮かびもしなければ、なかったときのことなんて、思いだしもしない。
「ありますが、何か?」
みたいになる(笑)。

それが足りてしまうと、今度はまた別の「足りないもの」を自動的にみつけだしてきて、
「ああ〜、これが足りない、どうしよう〜」
と、悩みはじめる。

そーやって、人はえんえんと、足りないものを探しつづける。
それって、どーよ。
それが人生とゆーものだ、というのなら、
あんまりおもしろくないもんだのー(笑)。


先日、ある本を読んでいて、はっとした。

足りないものが手に入ったから、しあわせになったのではない。
服が手に入った瞬間、「足りないものを探す」と言う思いが消えてなくなり、私たち本来の満ちたりた思いが、ただそこに現れてきただけだ、と。

「足りない」と言う思いが、不幸やジレンマを作っているだけであり、また、足りないと言う思いが、本来のしあわせを覆い隠しているだけであって、それが消えたとき、そこにはただ満ち足りたしあわせだけがある。

私たちはそれを、忘れているだけだと。

欠乏感、不安、あせり、悲しみ、怒り、なんでもいい。
思考はそれを使って、不幸をつくり出し、この世に臨場感をもたらす。
ジェットコースターで、上がったり、降りたり。
それをえんえんとつづけるのもまた一興だろう。


でも私はもうそうやってでぐるぐるするのに飽きたぞー。

いーっち、ぬーけ、たあーっ、と。






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