展覧会が無事終わった。
自分がつい最近まで描いていた絵が、ひとつひとつ、きれいな額にきちんとおさめられて、白く広々とした空間に、さあ~~っと、美しく飾られている。
ああ、やってよかったなあ。。
しみじみ思う。
人はどんなふうに思ってくれるのかな。
あの人、来てくれるかな。。。
。。。
来ない。。。。
うーん。
はがきだけじゃダメだったかな。。。
。。。
こっ、、こない。。。
やばい。。。。
電話しよっと。
「もしもし?今やってます~。え、無理?こ、来れない。。。?あ、ソーですか。そちらも頑張ってください。はい。ではまた」
プーップーップー。。。。
こないだとお~~~っ。
なんでだよ~~~っ、
あなたに見てもらいために描いたのにい~~~っ。。。。
と、呟く自分に、はたと気がつく。
いつのまにか、誰か特定の人のために描いていた。
でも、、
そのおかげでこんなにいっぱい絵が作れちゃった。
うん、あの人に感謝だな。うんうん。ありがとう~。
さて、人は来るかな?
。。。。
来ない。。。。
う。。。。
じぇんじぇん来ないやんけ。。。。
どっ、、、どないしょーーーっ!
こーやって、人が来ないあいだはもんもんとし、人が来てくれるとうれしがる自分を発見する。ま〜、なんと心のアップダウンの激しいこと。
何もしてないと、自分の心がいろんな内容にボンボン飛び交ってめまぐるしく動き回っているのがわかる。しかもその内容はネガティブなものばかり。
思わず聞いてみたい。
展覧会期中、作家は、人が来ない時間をどのように過ごすのだろうか。
考えたら、
『人が来る=仕事になる、または絵が売れる』と言う方程式はないし、
『人が来ない=仕事にならない、または絵が売れない』と言う方程式もない。
なのに、思考は勝手にその方程式を組み立てて、人が来ない、→ 仕事にならない、→ おまんまが食えなくなる、という答えを導き出しておおさわぎする。
問題だ!問題だ!どうにかしなきゃ、なにかやらなきゃ!と。
これがその「思考に巻き込まれる」って事なんやな。
たしかに頑張っちゃったのは、ある人がきっかけだ。でもそのきっかけがあったから、ここまでいろんな挑戦が出来た。しかもトークライブまで大胆にもヤッちまって。
いや待てよ。
その人のために描いてたんじゃないぞ。
作っている最中はホントに楽しかった。道ばたに咲く花、山にわざわざ茂っている草たち、地面にへばりついた苔!みんな美しかった。そして、あわててそれを作品に写しこんだ。その時、その人のことなど考えてもいなかった。。。。
それを思いだしたとき、
「ああ、私は人の視線を忘れていたんだ。。。」と思いだした。
今、画廊でひとりで座っている。人の視線を思いだしている。
だけど私のまわりにいるこの作品たちは、人の視線なんかこれっぽっちも気にしていなかった。
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