2015年3月10日火曜日

自我さんの「問題意識」



自我は不快を見つけてくる。

けさふとんから出るのをためらっている自分に気がつく。
「さむい。でるのヤダ」
心の中で色んな言い訳をする。まだ時間がある。もうちょっとふとんであったまっていたら、気温も上がってくるかも。。。などなど。
しかし10分やそこらで気温が上がるわけもない。

そう、この色々浮かんであーでもないこーでもないと延々とくっちゃべっているのが自我さん。こいつに四六時中ふりまわされる。
コタツのコンセントを入れる。「あ、電気代がかかる。。」とつぶやき、コタツを引きずって移動させると、「あ、そのうちガタが来る。。。」とつぶやき、鼻がむずむずすると、「あ、花粉症が。。。」とつぶやき、お湯を沸かすと「あ、ガス代がかかる。。。」とつぶやく。

こーして、一日中ぶつぶつ言う。
その内容たるや、不安にさせたり、不快にさせる言葉だらけだ。
不快の次は「それが問題なのだ」と畳み掛けてくる。次は「それをどのようにか解決せねばならない」と言いはじめる。その言葉を間に受けて、「ヤバい」「まずい」「しまった!」「どうしよう」「なんとかせねば」とそれに乗っかって、行動を起こす。

他人の言葉は疑うが、自分の中から聞こえた言葉は疑わない。それは自分のものだと思っているからだ。つまり行動のモチベーションのほとんどが、不安や不快がベースになっているわけさ。

自我さんのお仕事は、そーゆー不快なものを探して来るところにある。なんでかというと、快適なものは、あまり時間がかからない。「あ~気持ちいい」で終わる。それじゃ、自分の出番が少ない。
しかーし!不快なものは、持続力がある。

これは不快である。→問題である→解決方法を見つけなければならないのであーる!
だがこの自我さんがみつけてきた解決法なんて、そこらでかき集めてきたちょろい小手先でしかないから、その矛盾が、また別の問題をも持ち上げてきてしまう。そのうちカラダもおかしくなる。するとまたそれを不快として、問題提議をする。
こーして、えんえんと問題に取り組ませる事ができるのだ。自分をえんえんと頼りにしてもらえるってわけさ。
このっ、自我のあたまのよさ!

やまんばはそんな手にゃ乗らん。
「あ、そ」で聞き流す。後ろでぶつぶつ言ってるのを聞きながら、受け取りながら、乗らない。不快が全身に押し寄せるが、はねのけようとしたり、ふりはらったりしない。そのままにする。するとほどなくして静かになる。

花粉症もそうだ。
症状を感じてビクつき、どうにか対処しようと躍起になればなるほど、ますますどつぼにはまる。
だけど、感じたものをおおげさにとらえず、そのままにしておくと、山は過ぎ去っていく。

先日も目のかゆみが尋常でなくなって、受け入れようと躍起になっていたが、ますますひどくなるばかりだった。そこで集中するのをあきらめて、ネットサーフィンしはじめた。
するとどっかの政治家が、熟年どおしで、しかも不倫で、路チューしているとゆーではないか。
「おおっ、すげー!」
とかナントカもりあがっているうちに、かゆみがどっかに消えていた。

どーもその程度の問題意識のよーだ(笑)。



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