2014年9月19日金曜日

『種を置く女』



困ったら、そのままにしておけ。
自然農の川口さんのこの言葉は真理を語っている。

ニンゲンは自分の力ではなんにもできないんだなあ。。。そうおもう。

たとえばパンを作るとき、人がやることと言ったら、小麦粉や水などをまぜてねるだけ。あとは酵母菌が勝手に働いて、パンを作ってくれる。ニンゲンだけが作っていると考えるなら、ただ小麦のカタマリがいつまでもそこにあるだけだ。だけど酵母がしゅわしゅわとうごいて、ふくらんでくれる。

畑だってそうだ。
やまんばがこの高尾の地に沖縄のゴーヤや、亜熱帯出身のサトイモや、インカ出身のジャガイモや、トマトや、インドのナスやら、およそ高尾には似つかわしくない野菜の種をぶっこむのだ。よう考えたら、むちゃくちゃな話や。

それなのに、種たちはむくむくと育ってくれる。多少文句はあろうが(いや、おもいっきりいってるかもしれんが)、しゅくしゅくと、たんたんと「しょーがねえなあ、もう。。」とかなんとかいいながら、ぷるんと実をくっつけてくれるのだ。

ある本に書いてあった。
ニンゲンはいつでも矛盾するものをくっつける。だけどそれを解決するのはニンゲンじゃない、と。

わしらはやった気になっている。
たがやして~、肥料入れて~、草とって~、ほーらできた!これ、わしの作品!って。
ほんとだろーか。


やまんばは高尾の地には矛盾する種を置く。
だけどそれを実らせてくれるのは、やまんばじゃない。
だれ?

木を植えた男じゃないけど、やまんばは、『種を置く女』だな。
そしてただゆだねる。おまかせする。なにもしない。
この心持ちがいったいどんなことなのか、まだわからない。だけどきっとそんなこころであることなんだろうなあ~っておもう。

頭で考えることと言ったら、「虫がつくから虫除けしよう」とか、「枯れそうだから、水まこう」とか。
これは怖れから来る行動だ。やらずにはいられない行動。きっとここに解決の道はないんだろうなとおもう。ただ次の混乱を生むだけなんだろうなって。

どんなこころでいることなんだろう。。。。


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