2014年8月29日金曜日

ウルトラマンのポッチの奥



わしらは自分から自然とわきおこってくる感情をいちいち二分化する。

怒り=出してはいけないこと
怖れ=感じてはいけないこと
嫉妬=やってはいけないこと
悲しみ=外に見せてはいけないこと
とか、
うれしさ=感じていいこと
ほっとする=味わっていいこと
感謝=とってもいいこと
可笑しい=表現していいこと
など。

後者のジャンルは出たものをありがたくちょうだいする。うんと味わう。
しかし前者のジャンルは出たものを味わわない。
むしろなかった事にする、見なかったフリをする、押し入れにつっこむ、くしゃくしゃ丸めてゴミ箱にポイする、などとゆーふーに邪険な扱いをする。

この手のジャンルは、こーゆー風に扱うのがフツーだとおもっているそこの君。君は人生の醍醐味をか、な、り味わい損なっているのだ。

なんでそこに気がつかなかったんだろう。もっと早く知ってれば、もっと楽しめたのにい!

ま、しょーがない。前者の方は、生まれた時からずっと「それはいけないこと」っていわれ続けていたんだから、そりゃーよいこのやまんばは、いわれた通りにやるもんだ。

だけど自然と自分から出てくるものを受け取ったり拒絶したりする。。。これでいいの?


やまんばはある日、自分から出たとんでもない怒りに翻弄される。
なかった事にしたり、見なかったフリをしたり、押し入れにつっこんだり、誰かのせいにしたり、自分を正当化してみたり。ありとあらゆる事をやってみたけど、もうにっちもさっちもいかなくなったんだ。
それで腹をくくった。
ええイ、もうどうにでもなれ!じゃあ、この怒りとやらを味わってヤローじゃないの!

おもいっきりカラダ全身で味わってみた。これでもかってくらい自分から出る怒りをあおってあおって、あおりまくったんだ。
すると、ある時点でいきなり怒りが「シュンッ!」って消えたんだ
あまりの変化にびっくりした。その後、いくらあおっても怒りは出なかったんだ。

そこで、怒りってなんなんだろう。感情ってなんなんだろうって、色々調べはじめた。
すると感情ってモノは、ネガティブでもポジティブでもなく、エネルギーの強烈な運動なのだとなんとなくわかってきた。

だがそれを私らは「人に迷惑かけるから」という意味で二分化した。これはいけないこと、これはいいこと、と。
これは勝手に前者が悪で、後者が善のように勘違いしている。じつは「人に迷惑」が前提の、表に出していいものと、表に出してはいけないものという意味だったのだ。

なので、人に迷惑をかけないで感情を味わう事ができるのかって話だ。
できる



ずっとその感情を見なかったフリをしてきたのだ。
その感情が起こるとマシーンのよーに同じ反応をしてしまうだろう。しかし怒った瞬間、怖がった瞬間、その自分の感情が生まれた瞬間に気がついていることからすべてが始まる。
次の瞬間、「いけないっ!」って頭が反応するだろう。それにも気がついている事だ。

そしてとりあえず、何かをやっている最中なら、手を止めてしまおう。
そしてじっとその感情をみつめてみるのだ。意識は胸の奥に。ちょうどウルトラマンの赤いポッチの奥の方。。。その奥に意識を向ける。そしてその怒りを全身で味わおうと決めるのだ。

感情はカラダを通して起こっている。エネルギーだもの。みるみるうちにそのエネルギーの場所がぐい~んと移動するのを感じるだろう。
みつめて、みつめて、かんじて、かんじて、、、、。

そのとき頭が静かになっていることに気づくかもしれない。頭はだれかさんの悪口をいい、自分を正当化する。だけどウルトラマンのポッチの奥に意識を向けていると、そんな考えはやがて消えていく。

この静かな時間が今の私たちにはいる。スマホもテレビもネットも見ない、ただ自分の心の中を見る時間。。。

いいとか悪いとか、何の判断も起こらないポッチの奥。そこは私たちの宇宙の入り口。すべての答えを解く入り口。汝自身を知る扉。答えは外にはない。自分を深く掘り下げることで知りはじめる。怒りはどこから来るのか、恐怖はどこから来るのか、悲しみは。。。

自分の中の怒りを受け取ろう。
自分の中の恐怖を受け取ろう。
自分の中のすべてのネガティブな考えを受け取ろう。
そこから自分の『素』の姿が見え始める。メイドイン社会ではない、メイドイン地球の自分。

感情はいわば自分が生んだ子供。
その子供を受け入れてあげてちょ。




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