2014年8月16日土曜日

感情の津波は全身で受け止める




朝、4時半頃目が覚めた。
とつぜん恐怖におそわれる。
それはものすごい恐怖だった。いったい何の恐怖なのだ!

それは、、、
庭の木や草がぼーぼーで手におえない。大家さんに怒られる!と言うとてつもない恐怖だった。(うわ、ちっけー)
やまんばは恐怖でいっぱいになり、全身に汗をかきはじめる。

やばいやばい。こわいこわい。
ああ、こわがってはいけない。こんなことをこわがっているなんて。。いつもえらそーなこといってるやつが、こんなことでこわがっているなんて。。。なんてニンゲンとして失格なのだ。。。

おもえばおもうほどあせる。消そうとすれば消そうとするほどふくれあがる恐怖。さっきまで涼しげだったからだが全身汗まみれになる。。。

そのとき、「ひょっとしてわたしは今、これを楽しんでいるんじゃないか。。。?」とおもった。
「え?ひょっとして恐怖はワクワクとほとんど同じなんじゃないか?」
「え?ひょっとして、庭の木や草がぼーぼーなのは、わたしはどこかで植物の偉大さを知りたいと思っていたことの現れじゃないか?」と。

そうなのだ。
畑で植物のダイナミックさ、エネルギッシュさ、強さをあたしに見せてちょうだい!っておもってた。それがそのまんまあらわれているのではないか。でもせっかくそれを表現してくれているのに、頭が「草が嫌いな大家さんに怒られる」といってストップをかけているのだ。

植物の強さが見たいといいながら、その強さを目の当たりにすると、ダメダメ、それじゃ怒られる、と言っている。。。これって相反することを同時に求めていない????

じゃあ怒られるってことを消せばいいのか?

いんや。そう簡単にはいかない。うかんだもの、そう消せやしないもん。見なかったフリなんてもうできない。

感じるんだ!
そう。その相反する矛盾する考えで知っちゃかめっちゃかになっている頭を、そのまんま受け止めるのだ。

やまんばは大の字になって、その焦り、その恐怖、自分への怒り、ありとあらゆるごちゃ混ぜになってそこに存在している感情の大津波を全身で受け止めた。
心で、カラダで、感じて、味わってみた。

不思議な感覚の中にいた。
植物の、大地の、生き物の、躍動のような、すごいエネルギーを感じている自分がいた。ほんとはコトバにならない。わからない。だけど何かもう自分も消えているような。。。。

気がついたら7時前になっていた。

やまんばにとって問題はもう頭なんかで解決できない。ただ感じて受け止めるだけで、何かがメタモルフォーゼしていく。

この世の問題は次元の違う動きで変化がおこるのじゃないだろうか。

同じ土俵の上では、つまり頭で浮かんだ問題を、同じ頭の中では「解決」はできなくて、ただその場しのぎ的なもんじゃないだろうか。
今朝の恐怖はとても頭で解決できるものではなかった。

あ、今ちっこいって、笑っただろー、こらあ。


2 件のコメント:

  1. まいうぅーぱぱ2014年8月18日 0:48

    私もいろいろ夢見るさ・・。
    覚えてないのも多いけれど。最近怖かったのは、洪水が起こって辛うじて水がダムのように溜まってたのが、一瞬にして決壊し、下流の人々が一瞬で流されちゃう…ってやつ・・・。今でも、絵に描けるように(技術追いつかず描けないけれど・・・)思い出せます。
    叱られるのはあまりないかな・・・

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  2. これは夢じゃなくて、目が覚めたとたん襲ってきた想念ってやつかな。わたしが深いところでもっている観念をドッカンと意識させられたってかんじ。

    おきるかおきないかの頃、色んなメッセージをもらってて、それを「ああ、こういうことだったのか」と、理解することがよくある。今朝もそうだった。
     
    ぱぱさんも色々夢見るのね。
    水の力って、ほんとうにすごいよね。わたしも水の夢はよくみます。水がひたひたと窓枠すれすれのところまで見て、ひえ〜〜〜って、なってる夢だけど、ダムが決壊して、下流の人がいっしゅんで流されちゃうってのはみたことない。いつもぎりぎりでヒヤヒヤしている夢ばっか(笑)。
    ぱぱさんの方がたいへんやな。

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