2014年7月23日水曜日

差し出されたものは受け取るのがしあわせっ



自分がどこに、何に反応しているか見つけていくと、さらにその奥にあるものに気づく。
「え?こんなこと気にしてたんだ。。」と。

「びじょお~~~~。。。。」
っていう、トイレから聞こえるおしっこの音が気になる。聞いているだけでイライラする。
なんでだろって、はじめておもった。

おしっこがトイレの床にばらまかれて汚くなるからと怒ってるんだって気がつく。
なんでそれに怒ってるんだ?って探ると、小さい時母が「バイキンがつくから汚い」って色んなものを消毒していたのを思い出した。

家の中はいつも病院のようなにおいがしていた。玄関の入り口近くにうす金色の洗面器があり、母はそれに消毒液を水で薄めておいてあった。外から帰ってくると、それに手を浸して家に入るのがならわしだった。
父と二人で、母のことを「神経」ってあだなをつけてひそかに笑ってたのに、自分の中にそれがあった。

気がつけばいつも「汚い」ことに意識がいっている。台所が汚い。玄関が汚い。廊下が汚い。窓が汚い。トイレが汚い。庭が汚い。汚い汚い。
気になるくせにぜんぜんきれいにしない。
なんでや?
めんどうくさいから。

ネが怠慢だからちっともやらない。するとますます汚れが目立って来て、ますますやりたくなくなってくる。するともっと汚くなっていき、何もしない自分に自己嫌悪する。自己嫌悪するぐらいならさっさとやればいーのに、その時に使う力を考えるとうんざりしてもっとカラダが動かなくなってくる。するともっと自己嫌悪して。。。。。
最後は「地獄に堕ちてやる!」ってぐらいの勢いで掃除する。。。のパターン。

これってさあ、ものすごーく労力使ってると思わない?それに注ぐエネルギーたるや、すさまじーもんがある。

1:おしっこの音を聞いてイライラする。=エネルギー消費
2:床にばらまかれたおしっこからバイキンがうようよのイメージ。=エネルギー消費
3;自分が掃除するのかと思うとハラが立つ。=エネルギーの消費
4:バイキンから自動的に他の「汚い」ものへと連想ゲームが始まる。=エネルギー消費
5;あれもこれも掃除しないといけない。。。と悩み出す。=エネルギー消費
6:だけどちっとも掃除ができない自分へ自己嫌悪=エネルギー消費
7:自然と視界にはいってくる部屋の中のヨゴレを凝視=エネルギー消費
8:あれをキレイにするにはあれをこーやって、それをどーやって。。。とシュミレーションするうちにうんざりしてくる=エネルギー消費
9:うんざりするとますます動けなくなる自分にいらつく=エネルギー消費
10:仕事ができない自分にどんどんハラが立つ=エネルギー消費
11:「地獄に堕ちてやる!」ほどのボルテージを上げて掃除にいどむ=エネルギー消費

こんなにエネルギーを消耗するヒツヨーがあるだろーか。

さて、
このイライラは最初の観念から来ている。観念があんねん。

質問者:それはなんでしょーか。

やまんば:おしっこは汚い。

質問者:ピンポーン!ほかには?

やまんば:汚いものはいけないもの。いけないものは取り除かねばならない!

質問者:ピンピンピンポーン!


もし最初におしっこは汚い。と教わらなかったらどーなるか。
「じょおお~~~。。。。」って音は、雨の音と変わらず聞こえる。
てか、そもそも気にならない。耳に入って来ない。聞こえない。
はい、おわり。
エネルギー消費ゼロ!

わしらはこのよーに、はいって来た観念を使って、自動的に怒ったり、怖がったり、悲しんだり、よろこんだりしている反応マシーンだ。

その反応しているものを見て
「はっ、この心がわさわさするのが自分なんだ!」
と、「自我」を実感することをずーーーーーーーーっとやっている。

エネルギー消耗することは、悪いことじゃない。それによって「生きてる!」って実感をえることができるのだもの。だけどいかんせん、なんだかな~ってな感じで楽しめてないジャン。それはその実感の中にしかこの世はないと思ってるからなんだな。
ほんとかな?


やまんばは、「びじょおお~~。。。。」って気になる音を頭の中で再現してみた。
くっ、腹立つっ。めっちゃはらたつうううう~~~~!
そこで自分であおってみる。
どんくらい腹立つ?
もんのすごー、腹立つ!うおーーーっ!
おお、すごいやん!もっと怒ってみ!
う。。。
ほら、どしたん。もっと怒ってええって!
え。。。あ。。。?
ほよ?
う。。。。。。消えてしもた。。。。。

出たエネルギーは受け取ってもらうと消えていく。
この二元論の世界は、出る、受け取る、ということをやって統合されていく。
それは別な言い方をすれば、「味わう」ことでもある。

「これはいい、これは悪い」という観念をもらい、その観念によって、ハラが立つという感情が起こる。それはいいことでも悪いことでもない。むしろその感情の動きこそが、この二元論の世界の醍醐味なのだから。

そのハラが立ったものは、自分で受け取っていく、それで万事休す。
おもろい世界にやってきたなあ。


絵:「ありがとかっぱ / 絵はがき」

只今、Thank you card 展 The 14th. MOONにて、つくしの絵はがき売ってるよ〜ン。
ほしい方はぜひお立ち寄りください!
たくさんのイラストレーターさんたちが描いた、かわいい絵はがきいっぱいありま〜す!



4 件のコメント:

  1. まいうぅーぱぱ2014年7月25日 10:59

    消毒液を水で薄めておいてあった。外から帰ってくると、それに手を浸して家に入るのがならわし
    懐かしい。昔、赤痢だかがはやった時に私んちでもやってましたね!

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  2. へえ〜、みんなやってたんだね。

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  3. 以前コメントしたものです。
    自分の子どもの頃を思い出しました。糞尿も汗も唾液もフケも耳垢も体から出るものは全て汚い、手を洗え、顔を洗え、うがいをしろ、着替えろ、バイキンを持ち込むな、許可なく触るな、風呂に入れ、ぽりぽり掻くな、洗え、とにかく石鹸で洗え、と言われて育ち、洗剤や漂白剤を切らさず「汚い(らしき)モノ」大嫌いでした。
    石鹸なし生活を始めてそれが「幻想」だったことがわかりましたが、しかし時々今でもイライラすることがあります。
    つくしさんのように「受け取る」ことをやって消化(昇華)してみようと思います!

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  4. どんぐりさあ〜ん、いらっしゃ〜い。

    ぽりぽり掻くな!
    わたしもよく言われましたねえ〜(笑)。
    とにかくうるさかったよねえ。
    それで、ド、ン、ダ、ケ、心洗脳されちゃったかわかんないよねえ。親も洗脳されてんだけど。ま、昔はもっと目に見えるもんがいっぱいうじょうじょいて、リアルだっただろうけど。

    だけど「汚い!=あぶない!」ってなったとたん、それが「怖いもの」になっちゃったんだよね。
    だから架空の恐怖を次々に生んでくる。
    でもムシとかバイキンってどこからともなくわいてくるらしい。ある本によると、ムシや細菌はテレポーテーションしてくるって(おもしろーい!)。

    じつは未消化な「思い」に寄ってきたりしてね。いやひょっとしたら自分で作りあげてんのかもしれん。

    思いはばんばん自分で受け取って消化して、ホンモノの自分を生きていきましょう!

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