こないだ仕事でミスやった。それもちょーーー初歩的なことで。
やべえ。まずい。心がおろおろする。いてもたってもいられないから、なんか行動を起こそうとする。いいわけの電話をしようとする。
いや、でもまてよ。今更いいわけしたって先方さんの考えが変わるわけでもない。
なんの?
つまり、やまんばがのーなしだってこと!
ひええ~~~っ、そっそれだけはかんべん!
だが、いくら「オレ、のーなしじゃないっスよ~」といってみた所で、
「ああそーですか。それはそーでしょーね。。。」
と、冷ややかな目で見られるだけだ。
ここはぐっとこらえて、不快感を味わってみる。これ最近のやまんばのマイブーム。
ハラが立ったとき、怖くなったとき、いや~な気分になった時、人はなんだかばたばたしちゃうじゃない。これ、何かやってこの不快感をとりのぞこうとするのさ。だけどなかなか不快なものって取れないわけ。だからあえてそれを味わうことにしたんだ。
ぐっとこらえて味わっていた。すると、自分がのーなしだって思われることが怖いんだってことに気づく。それで、
「どうしてのーなしだって思われるのが怖いのか」
って自分に聞いてみたんだ。
すると自分はのーなしだと思っていたからだったんだ。
「のーなしでは、いけないのか?」
って聞いてみたんだ。
すると、ちっちゃい時にいじめられたり親に怒られたりした時に、自分の惨めさを感じて、
「自分はのーなしなんだ。そんなのーなしはこの世にいてはいけないんだ。。。」
って思ったことが始まりだったって気がついた。
のーなしは、この世にいてはいけない。
『無能の人』という映画を見て、共鳴した自分がいる。あれは私だ。ああいう存在なのだ。何の国益にもならない、何の人の役にも立たない、でくのぼうだ。だからこそ、人のためになることをしなけりゃ、この世にいる意味がないのだ。。。。そうとことん信じた。
やまんばの若かりし頃は、『コスモポリタン』という女性雑誌が世に出て、女性は社会に出てがんがん頑張っちゃうってのが理想の女性像だった。だからがんがんやる、世のため人のために生きる。これが人として、女としての価値ある行為だああああっ!と信じてやまなかった。
しかし!しかしだよ。このボンミスはなんだ!のーなし逆戻りじゃねえか!
畑で草を刈りながらかんがえていた。
やまんばが無肥料栽培やって、まともに育てられないことをなげいているのは、こののーなしではないけないのだ、能力がなければ生きていてはいけないのだ!と言う強迫観念から起こっていた衝動だったんだと気がついた。
ところが!ところがだよ!
一緒にやっているぱぱさんやおおママさんさんは、そののーなしやまんばをちっとも責めないのだ。肥料やって育てりゃあっという間におっきくなる野菜も、無肥料で結果が出せないにもかかわらず、やまんばののーなしをそのまんま受け入れてくれていたのだ!
がくぜんとした。
のーなしはのーなしで、そのまんまうけいれてもらえているのだ。
やまんばは仕事ができるヤツしかこの世に受け入れてもらえないと思っていたので、仕事ができるヤツのフリをしていたはずだった。しかしじつはしっかり見破られてて、できないまんまで受け入れてもらえていたのだ。。。ああ、なんてことだ。。。。
先日、ある会社の人たちが、ある一人ののーなしスタッフについて語り合っていた。
「仕事ができないなんてもんじゃない。人としてどーよってくらい!」
だけどそこの上司は彼をやめさせない。会社の不利益甚だしいのに絶対やめさせない。
だけどまわりのスタッフは彼の行動を通して「自分」の一面を知る。ふつうであることのすごさを知る。理解をするとは何かを知っていく。彼がいることで色んなことを学んでいたようだ。
やまんばののーなし加減が人にどーのこーのと言う筋合いはない。
だけどこの世は堅苦しく、せせこましー世の中だっておもってるけど、ほんとはものすごい寛大に受け入れてくれているんじゃないだろうか。
この世はどんな人でも「あんたはそのまんまでそこにいていいよ」
って、最初っから受け入れてくれていたんじゃないだろうか。
ただ自分が受け入れてもらえてないって勝手に思ってるだけで。
そしてもとは、自分が自分を受け入れてないだけだったんじゃなかったか。
ただ自分が受け入れてもらえてないって勝手に思ってるだけで。
そしてもとは、自分が自分を受け入れてないだけだったんじゃなかったか。
畑の中でひとりあったかいきもちになるやまんばであった。。。
他人を傷つける存在にならない限り、それでいーんです。って、私も生きてます。
返信削除こんなのーなしやまんばですが、よろしくおねがいいたします。
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