2014年6月18日水曜日

自分の心を見る



きのうのつづき。
ありのままの自分でいるってことは、ありのままの自分を見るってことだ。

自分という存在を本気で知ろうとすると、結果的にありのままになっていく。

外からこうすればいい、ああすればいいと言う考えをいくらくっつけても、ほんとは意味がない。美しいお面をかぶって生きるようなもんだ。ずっとかぶってられないし、そのうち苦しくなるし、どっちみちはがれ落ちる。

そのお面の下にこそ、ほんとうのうつくしさがある。それは誰に似たものでもない、あなたそのものの美しさだ。
その美しさを自ら輝かせるのは、あなたを知ることからはじまる。


自分の心を知る。
自分の心の動きを見る。
何に反応して怒っているのかを見る。

自分の心の中をじっくりのぞいてみると、同じパターンのものに怒ったり、悲しんだりしているのに気づく。
なんでそれに怒ったり悲しんだりしているのかと探ると、かならず「これはこうあるべきだ」という法則にたどりつく。

私たちが怒ったり、悲しんだりしているそのおおもとは、ある「考え」にもとづいている。

まだ若い頃「これはこうあるべきだ」、「こうではいけない」、と教わったことは、何の疑いももたず、そのまんま受け入れられる。コンピューターに判断基準のソフトをインストールするよーなもんだ。すると自動的にすべてのものごとを、それを基準に判断する。そしてその判断に基づいて、怒ったり、悲しんだりしている。
その判断基準ソフトの内容はそれぞれの家によってもちがうし、歩んできた人生によってもまったくちがう。
まったく超個人的なあなた独自のオリジナルなソフトなのである。

これはこうだ。あれはこうあるべきだ。
そういう考えは、ソフトが立ち上がった状態を気がつかないまま起動させている。その基準に基づいて、そうでないものを怒る。そうでないものを悲しがる。
例えば太っているのはいけないという基準をインストールすると、太っている自分を悲しみ、必死でダイエットをしてもちっとも痩せない自分を怒る。

心は観念(考え)によって動かされる。
感情は、観念によってひきだされてくる。

ということは、感情はいきなりやって来るおそろしーものではないのだ。あなたの人生のどこかでインプットしたソフトでしかない。
それを見つけると、おもしろいことが起こりはじめる。



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