2014年5月1日木曜日

『アナと雪の女王』と『裏高尾の不思議な仲間たち』の共通点(大きく出たねえ)



ふじだなさんでの『裏高尾の不思議な仲間たち展』は大成功のうちに終わりました。
お忙しい中、高尾の奥まで足を運んでいただいた皆様方に、深く感謝いたします。
ありがとうございました。


今回は、今まで封印してきた作者の地の部分をモロだしした作品でしたが、思いのほか、とゆーよりは、おもいっきりお褒めの言葉をちょうだいし、なんだか照れくさいような、こそばいよーな、「じゃあ、今までは何だったんや!」となってしまうよーな、そんないろんなおもいがいっぱい吹き出た一ヶ月でした。
力を抜くってこんなことだったんかな~?って、おもいました。

ちょうど今、『アナと雪の女王』のテーマソングがおおはやりだそーで。
ちっこい子供からはじまって、多感な高校生や、わしらの熟女世代、はたまたじじばば(?)までが、
「ありの~ままの~、じぶんになるの~」と、そりゃーもー、大合唱だそーで。
それはまさに「こーでなければいけない」という世間のオキテの呪縛から解放される瞬間の歌であります。いや、解放する宣言!といえるものでしょう。

だからやまんば「ありの~ままの~、つくしになるの~」と、「自分解放する宣言!」の展覧会だったんだろうなあとおもっています。


やっぱりみんな自分自身でいたいんです。
だけど、でるくぎは打たれるとか、常識ではこうだから、というこの世の呪いのようなもんが、ひとりひとりの中にずっしりと居座ってて、それをどける勇気がないんです。

でも自分を解放する行為と言うのは、何も人や外に向けて「おらおら、こーしてやるんだあ~~っ!」って、大きくやる行為だけじゃないんです。自分が自分に向けて、そっとやる行為なんです。それがはじまりなんです。

やまんばは、きのう一日自分の中にどれだけ罪悪感があるのかさぐってみたんです。すると。。。。でるわでるわ山のよーに。。。。。
たとえば納期に間に合わせなくちゃいけない、下手な絵を描いてはいけない、バランスがおかしくてはいけない。。。
たったひとつの線を描くその瞬間にいろんなこうあるべきというおもいがでてくる。そうでなければイケナイ、罪深い、そして仕事が干されれば、それもまた罪深い、。。と罪の連鎖が広がっている。そういう膨大な量の罪の意識が集まって行動を起こしている自分に気がついた。

これはたぶんわたしだけじゃない。みんなにも起っている現象だと思う。それがほとんど無意識の中にたまっていて、そのガマンや罪の意識の限界がきたとき、
「ありの~ままの~、じぶんになるの~」と、歌いたくなるのだ(笑)。

こうあるべき姿と言うのは、誰かの姿なのだ。こうあるべきはあなた自身ではないなにかになろうとする。それは最初っからできない相談だった。

時代はおもしろい。
今のいろんな社会現象が、自分自身であれとメッセージを送っている。



やまんばはきのう、そっとやんちゃな行為をした。
罪悪感を自分の中から吹っ飛ばしてみたんだ。
納期?おくれてもいいや。
へた?へたでもいいや。
バランス?あってるあってる。
するとどうだ。全然すんなりと出来上がってしまった。何一つ心の葛藤を生み出さず。何一つ!

この世の法則とは、ひょっとしたら私たちが長年考えてきた姿とはまるで違う方向性を持っているんではないだろうか。
ほんとうに「ありのままのじぶん」であれば、この世はすごく楽しい世界だったんじゃないだろうか。

今回の展覧会を通して何かすごくだいじなことを教えてもらいました。

みんな!ありがとう!


絵:『裏高尾の不思議な仲間たち展』より。「踊る招き猫」

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