うちの犬のユタは、かつて悪さをして怒られると、そのでっかい口をこれ以上大きく開けられないくらい大きく開けてあくびをした。
そのゴーマンな態度に飼い主としてはフンガイしたもんだが、彼は彼なりに怒られるとゆー不快さをあくびをすることで、気分を変えていたんだろうと思う。
なぜあくびをするのか。
ここだけの話、花粉症の人は(いや、きっとやまんばだけなのだろう)ちょっとその場を退屈するとクシャミをする。ほんのすこーし不快になるとクシャミをする。
ユタは怒られるとあくびをする。
やまんばは不快になるとクシャミをする。
あくびは大きく息を吸い込む。クシャミは大きく息を吐き出す。
両者は大きくちがうようだが、よく観察すると、あくびのあとは息を大きく吐き出しているし、クシャミの前は大きく息を吸い込む。
どっちも大きく息をしているとゆーことだ。
つまり不快になると大きく息をするという、生理現象を生んでいるのだ。
なんじゃこりゃ?
よく考えると、怒られたときって、息が浅くないかい?イヤ~な気分のときって、息が浅くないかい?え?意識してない?あ、そっか。じゃ、今度イヤ~な気分になったとき、息を観察してみよう。
深呼吸しているときって、あまり考え事してなくない?
深呼吸しているときは、深呼吸に集中しているからね。無意識に深呼吸してないってことだ。
だけど落ち着いていて、心がここにあるとき、まわりの景色や空気感や匂いに心おどるとき、息は深いんじゃないだろうか。
反対に、アレコレ心配したり、アレコレ策を練ったりと、心が外に向けて忙しいときは息が浅い。
やまんばはアレルギー体質で花粉症だったけど、よく考えると息が浅かったような気がする。だって、花粉が飛び散る空気をおもいっきり吸いたくないじゃん。だから、こそこそびくびく息してたんだな。
だけど最近、おもいっきり深呼吸するよーにしているんだ。すると花粉症の不快な症状が消えていくじゃないか。
なんでだろうと思ってたんだけど、これって、ユタのあくびと一緒だったんじゃないかな。
イヌは自然な生理現象をうまく利用できるけど、人間は頭で考えてしまう。花粉がいっぱい飛んでいる空気をおもいっきり吸ってはイケナイのだ!と考えて、深呼吸しない代わりに、あの手この手を使って、結局わけわかんなくなって、しっちゃかめっちゃかになっているんではないか。
だから切羽詰まったとき、クシャミとゆー方法で、なんとかからだを調整しようとしているんではないか。
だから切羽詰まったとき、クシャミとゆー方法で、なんとかからだを調整しようとしているんではないか。
浅い息は、外のものを取り込まないようにしている。いわば小さく固まった状態だ。流れが滞った川は水がよどむよーに、息の浅いカラダは外ものを拒絶して、自と他をわけ隔てるんじゃないだろうか。
反対に深い息は、内と外を絶えず交換して、きれいな空気をいただき、そして外に解き放つ。川の流れのように透き通っている。
自と他は区別がなくなり、一体となってこの世界に存在する。
そのとき花粉はダメだとか、外のものは恐怖の対象であるという観念はない。
皮膚も呼吸をしている。鼻と口だけではない。息を大きく吸うとき、きっと全身の皮膚も一緒に呼吸している。深く息を吸うとき、全身で新鮮な空気を取り込もうではないか。そして全身から放出する。
私たちは個別化されていない。
一見、個別化されているように見えるけど、ほんとうはそう見えるように『訓練』がされてきたからだ。それはまだ幼かった頃、そのように見るように教えられてきたからだ。
「これが物質とゆーもので、この世界の中で遊びましょ」
と教えられてきた「部分」だけをみているからだ。
だけど事実は、
「これが物質とゆーもので、この世界の中で遊びましょ」
と教えられてきた「部分」だけをみているからだ。
だけど事実は、
私が息を吐けば、目の前のパソコンがそれを吸い込み、そのパソコンが息をはけば、机がそれを取り込む。
すべては大きなうねりの交換なのだ。
常に変化し続ける、ダイナミックなエネルギーの躍動なのだ。
私たちはひとつだ。どことも離れていない。
あなたの目の前のすべての風景が、あなたの世界そのものなのだ。
みなのもの、大きくあくびをするのだあああああ~~~~!
(そこ?)
(そこ?)
そうそう、アクビや身震いで、リフレッシュしてるらしい。人間もそれぞれリフレッシュの方法あるけど!私は、呑み・・かな?(笑)
返信削除呑み、は大事よねえ〜〜〜。
返信削除リフレッシュになるなる!