2012年12月14日金曜日

エアー法則



量子力学っちゅうのんがあるんだから、思考力学っちゅうのんもあっていいとおもう。(どーゆー理屈や)

やまんばはね、つらつらかんがえるうちに、ある法則に気がついた。これを『エアー法則』とよぼう。

わしらはうまれてきてから「考える」ことが、とお~ってもりっぱなことだと教わってきた。だから考えさえすれば、きっといいことがおこる。考えを練りに練ったら立派な大人になれる、そうおもってきたわけだ。

ところがだ。この考える=思考ちゅうもんは、いい方向に向けばいいことにもなるけど、まずい方向に向けば、とことんまずくなるっちゅー、どっちへでも転がる性質を持っているようなのだ。
そんなんあたりまえやっておもうやろ?ところがそのあたりまえなことを、今までだーれも指摘して来なかったから、そのまずい方向に向かって進んでいってることに気がつきもしなかったのだ。

最近流行ってる言葉「見えないからこわい」ってのも言い得て妙なんだけど、自分で考えていることってみえないでしょ?見えないから、どっちに進んでいるかも気がつかないわけだ。
リンゴは手からはなすと下に落ちる。こりゃ重力があるから下へ落ちるのだって知ってる。だけど思考はそんなふうに上から下へ落ちるような明快な見え方しないから、わけわかんない。

うつな人が多いのも、不幸な気分になるのも、「人生って苦しいもんよ」と思うのも、ケツをボリボリかくダンナの仕草が気に入らないのも、単にその思考がもつ独特の力学を知らなかっただけなのだ。そこにはある種の法則がある。


人間は常に考えている。
その思考の中にはだいたい二つのパターンがある。いい気分の思考と、やーな気分の思考。やまんばのいい気分の思考は「ああ~、いいお天気だなあ」とか「お山がきれいだなあ~」とかだ。んで、実はいい気分はこの一瞬だけで、その後すぐに目についたものや、ふと頭に浮かんだものに思考が滑っていく。

「おお、寒い。早く家に入らないと風邪を引く」
すると今度は「風邪を引く」に思考が引っかかって、「風邪は万病のもと」という言葉が出てくる。今度は「万病」に引っかかって、「成人病」が出てくる。こうなると必然的にいきつくのは、ガンだ。(がーん)

このように一個のキーワードが出てくると、それに関連するものが、芋づる式に引き出されてくるのだ。これを芋づる方式と呼ぼう。
思考はこのようにいつも何かにしがみついて言葉遊びをしている。なぜなら思考自体が「言葉」でできているからだ。
その言葉には、それぞれ「感情」がくっついている。
ガン=こわい
風邪=やっかい
寒い=いやだ
ね?

だから思考をすればすなわち言葉が出てきて、言葉が出てくれば、すなわち感情が生み出されるというパターン が、お金を入れれば缶コーヒーが出てくる自販機のように、自動的に起っているようなのだ。これは瞬時に行なわれるので、思考している本人は気がつかない。
最初はお山がきれい~といい気分だったのが、一瞬「風邪」というキーワードが思いついた後は、次々と連鎖反応が起って、あっというまにやーな気分になっている。
これが思考力学だ。手放したリンゴが地球の真ん中目指して吸い込まれるように。

リンゴは手放したら落ちるから、手放さないことができる。それは手放したら落ちることを「知っている」からだ。
思考は常にえんえんと考え続け、ほおっておいたら、いくらでもやーな気分になり続けることが出来るのだ。その法則を知っていれば、やーな気分をやめることだってできる。

わしらは考えたらいいことが起ると漠然と信じている。それはなんとなくそういうもんだとおもっているからだ。だけどもうそろそろその思考というものをコントロールすることを知る時期なんではないだろうか。だってあまりにこの世はやーな気分で満たされているんだもの。それはたんに思考という奴の利用の仕方を知らなかっただけなのだ。馬はうまく乗りこなして乗馬になる。自動車は運転技術を身につけてこそ、自動車を乗りこなせるのだ。(運転下手なやまんばがそれを言うか?)

つづく(の予定)

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