2012年10月8日月曜日

津久井の在来種


きのう津久井にある島村農園へ行ってきた。
島村さんは6年前から農業をはじめられたときから、無肥料栽培を行なっていた。昨日は津久井在来種のエダマメの試食会だった。
広大な敷地に広がる大豆畑。プリップリにはち切れそうな若い大豆がたわわに実っている。その重い実を支えるたくましい支柱は、無肥料の土の上にどっかとそそりたっていた。
そうか。やっぱりできるんだな。。。
そーっと土に指を突っ込んでみる。指はゆっくりと大地に吸い込まれるように入っていった。

「何も入れないことです。土にはなにもいらないんです。」
小さな声で島村さんはおっしゃった。大いばりで自分の流儀を主張しない謙虚な方だった。だから土と対話できるのかもしれんなあ。静かにじっと畑を見つめる島村さんの姿が眼に浮かんだ。
近くで無肥料栽培している人はいないかとずっと探していたのに、なかなか見つからなかったわけが分かった。

やまんばはさいきん、方法は何でもいいんだなあと思うようになった。うんちを入れる農法でも、草の根っこを置いておく農法でも、菌を入れる農法でも、なあんにも入れない農法でも、農薬と化学肥料を入れる方法でも。
その人の生まれてきてから身につけた巨大な記憶のバックボーンによって選んでいるものがあるんだ。だから選んだそのものが「正しい」のだ。

だいじなのは、その農法を使って自分の畑と静かに向かい合うことなんだろうとおもう。向かい合うっていう言葉は最近よく使われるけど、じつはものすごく難しいことなんじゃないかと思う。だって、世の中向かい合えなくなるような「魅力的な」アイテムがわんさかあるんだもん。いや、無意識に向かい合いたくないから、他のことに眼を向けて逃げているのかもしれん。だからやまんばも自分の「問題児(と思い込んでいる)の畑」から逃げるように、必死になって外の方法にとらわれて、「あれが正しい。いや、やっぱりこっちが正しい」と、あっちだこっちだって巡り巡ってきたのだ。


やまんばは、地球のこと考えて畑はやらない。そりゃ理屈で考えたら、畑にいれ過ぎる窒素が自然のバランスを崩していくことは知っている。人間がアレコレ考えてやった結果はいつも混乱を起こし、自然のバランスを破壊する。だから有機農法はダメだとか、農薬はダメだとかいうのがはやっている。

だけどそのアレコレ正しいと主張をすることに疲れてきたんだな。
自分が正しいと言うと、必ずあっち側に正しくないものを出現させる。自分で正しいと思っていることに同調する人は味方で、同調しない人は敵になる。すると必ず戦いが始まるじゃないか。自分の心の中だって、しょっちゅうあれとこれが戦い合っている。夫婦の中や、友達の中や、親子の中にまで戦いがある。それは一番最初に「正しい」と「まちがっている」が存在しちゃったからじゃないか?だれだって、どっちの立場から見てもみんな「自分が正しい」のだ。
議論したっていつまでたっても答えは出ないし、相手を説き伏せることなんかできないのだ。だってみんな自分が正しいと信じているんだもん。

今はみんな自分の正しさを声高に叫ぶ。
セーフもホーシャノーもトカゲもまちがっている!

じゃあなにかできるんだろうか。わたしゃ、なにもできない。ダンナの指一本動かすことなどできない。そんな人間にセーフなんか動かせるわけがない。

動かせるのはたったひとつ、じぶんだけ。
だけどここに無限の広がりがある。とんでもない秘密が隠されている。心が迷った人は、自分に還るしかない。自分の中に壮大な秘密がある。とんでもない宇宙があるようなのだ。人類はそこにむかう時にきている気がする。


島村農園さんの畑を見て、「やったー!やっぱこれだったんだ!」というよろこびはなかった。前だったら、おおよろこびだったはずだ。今は自分にとっての静かな確信があるだけだった。
もう何もしなくていいのだ。。。と。
これからは、自分と自分がまいた種との会話しかないのだ。

ほくほくととってもおいしい島村農園の無肥料栽培エダマメは、やまんばの口と心の中に宇宙のエネルギーをよびこんでくれた。

島村農園さま、ありがとうございました。

2 件のコメント:

  1. まいうぅーぱぱ2012年10月9日 14:34

    んで、枝豆は旨かったの?
    茹でたのかな?蒸したのかな?まさかの焼き?とか??

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  2. そう!そのまさかの焼き!
    うまかったでえ〜〜〜〜〜。

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