近所に畑がある。
そこは草取りと、耕す事ばっかりやっていて、ちっとも野菜を育てない。持ち主は他でも畑をやっているので、こっちまで手が回らないからだ。
その日も草取りをしていた。
何となく草取りを手伝いながら、
「よお、こんなに種まかないと、そのうちあたしが、ばらばら~っと種蒔いちゃうぞ」と、そこらにふりまくマネをする。
兄ちゃんは笑いながら、
「おお、やってみろよお」といった。
いったぞ。いったぞ。へっへっへ。
ある日の夕暮れ。
やまんばはほっかむりをして、こそこそと畑に向かう。ポケットに入っているのは、ウチの畑で採れた「のら大根」。ウチで勝手に生えてきて野生化している大根の種だ。かれこれ4世になる。
ここの畑は以前建物が建っていたが、解体した後その場所に山の土を入れた。その後一度だけ3年ほど前に、肥料の変わりにとマリーゴールドが植えられた。それをすき込んだ後、一切化学肥料はおろか、有機肥料も、農薬も、堆肥も、何も入っていない。しかも草が生えても抜いては耕しをつづけている、いわばまっさらの、純粋なただの「土」である。
無肥料栽培に向かいはじめているやまんばにとって、このチョー魅力的な畑を実験しないわけにはいかない。
バラバラ~っとなんて大胆な事ができない、気の小さいやまんばは、西っ方の隅っこに、ぽそぽそと種を仕込んでいった。暑い夏の終わり。土はからっからに乾いていた。さらさらと細かい土が心地よい。10粒ほど蒔いて、ゲリラ種まき作戦終わり。
あれからしばらく一滴も雨が降らなかった。
9月に入って二日間雨が降った。それから芽がでた。その後今に至るまでまったく雨が降らない。しかしのら大根はどんどん大きくなっている。大きな本葉も二枚でた。虫にもまったく食われていない。
ウチの畑では、少し前にまいた同じ種が、双葉の段階で枯れてしまっていた。しかしゲリラ大根はすくすくと育っている。
いったいどーしたことか。
考えられるとしたら、この畑は川のすぐそばにある。川は畑から3、4mほど下にあるが、浸透圧の関係なのか、畑の土まで潤いがあがってきているのかもしれない。それはやはり肥料の層のようなものがないからなのかもしれない。さえぎる固い層がないから、地下からの地熱も、地下からの伏流水も自然にあがってきているのだろう。
それにしても植物はしたたかだなあ。ちゃんと自分が芽がでていい時を狙っている。今がチャンス!って時を逃さないのだ。その時期がくるまで、じっと押し黙っている。その時期のゲットは本能のようなもんなのだろう。
あまりの乾燥に、よかれと思って種に水をかける。でも結局それは一時期だけ潤うだけで、後が続かない。だから案の定枯れてしまったのだ。
やはり植物の生長は植物自身に任せるのがいいのだ。きっと種は知っているのだ。いつ、どこで、どんなふうに成長すればいいのかを。
畑をやればやるほど、人間って、智慧しぼっても何の力もないんだなあと実感する。おっきくしようと思って肥料をやれば虫がつき、虫を殺すために農薬をまき、その結果、土も野菜もへんちくりんになる。ちょうどそれは石けんなし生活で見つけた「石けんいらないんじゃないか?」のように、何かをしようとすればするほど混乱するのはまるで同じなのだ。
過保護はいかん!見守れ。って感じ?
返信削除(どうでもいいけど、投稿時のパスワード読むの難しすぎ…)
過保護はイカン!ってな。
返信削除ほんとだ。パスワード読みにくっ!
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よろしくっ!