2012年7月6日金曜日

ピダハンすき〜。

ピダハンって知ってる?
ひよこ豆が入ったピタパンじゃないよ。
アマゾンの奥地に住む未開の民族だ。
いやー、まいったね。おもろいね。ぶっ飛ぶね。やまんばはおもいっくそ元気になっちゃったもんね。

野良仕事と仕事の合間に未開の民族の話を書いた本を読む。
こっちはコンピューターを駆使して机の前にへばりついて仕事しているというのに、ピダハンはサルを食って、大人どおしがちんちん触り合って、大笑いして、ジャングルを駆け巡る。今の話だ。

ピダハンは、数をもたない。過去とか未来をさす文法がない。左や右もない。心配という言葉もない。
好きな時に狩りをする。夜中だって狩りに出かける。夜中の3時だろうと、捕ってきた魚は家族全員でごそごそ起きてきて、獲物を全部食う。キープする事を知らない。残しておくことをしない。あったらあるだけ食う。ないと何日も食わない。それでもぜんぜんへーき。腹減らしていることも大事な事なのだ。
栽培もしない。ジャングルに入ってイモやくだものをとってくる。それはそれで重労働だけど。だけどそれをみんな楽しげにやっている。よくしゃべりよく笑う。ほとんど寝ない。

彼らの様子を読んでいると、私らが「これはジョーシキ」と思っていたことが、それがどーした?というところまで押しやられる。

一日8時間の睡眠。
一日三食。
できるだけ沢山の種類の野菜を食べる。
一生懸命努力する。
人間は信仰心を持つ。
大人は子供のように遊ばない。
大人になるほど心配事が増える。

これが、ピダハンでは、
一日のあいだで寝るのは断片的。まとめて2時間以上寝ない。
一日一食食えればラッキー。
ピダハンは葉っぱは食わない。
努力しない。
神という存在を持たない。
儀式がない。
大人も子供も同じように遊ぶ。(捕まえたアナコンダで女衆をおどかしてあそぶ。ちんちんいじり合って遊ぶ)
著者は心配しているピダハンを見たことがない。

著者はアメリカ人で、伝道師としてピダハンの村に入った。
そして彼らとの30年の付き合いの結果、その信仰を捨てた。人々を救うために伝道をおこなったが、そもそも救う理由がない。彼ら程幸せに満ちた民族はいなかったのだ。天国に行く道筋を教える必要もない。だって、そこがすでに天国だったからだ。

台風で家の屋根が飛んだら、真っ先にその持ち主が大笑いをする。みんなつられて笑う。ダンナの浮気がバレたら、奥さんの膝に頭を押し付けられたまま3時間好きなようにされる。パシパシ殴られようが髪の毛引っ張られようが、されるままにする。その間へらへら笑っている。
本当によく笑う彼らなのだ。

彼らは過去を引きずらない。誰かの又聞きを聞かない。今、今、今。この今ある事だけにいきている。だから2000年前のいたかもしれないヒトの話を又聞きの、そのマタマタマタ又聞きの、○○さんの話なんか聞こうとしないのだ。
「お前がそれを見たのなら聞く」のだ。

彼らは過去を引きずることによっておこるリスクを、そして言葉を新しく招き入れる事によって起こるリスクを知っているようなのだ。

私らの文明は、日々新しい言葉を増やしていく。KYなどの形容詞、病名、薬、運動、。。。
それらによって分裂が起こり、混乱をまねく事に気がついていない。

彼らはレンガというものを知ったが、彼らにとってそれが必要でないと思うと、もう次の日にはその言葉は発せられる事がないのだと言う。

世界で一番未開の生活を送っているように見える彼らだが、本当は一番洗練された民族なのではないだろうか。そういう人々が今、この現代に確実に存在しているのだ。疲弊した文明のまっただ中にいる私たちに、何かものすごいヒントをくれている、そんな気がするのだ。


*『ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観・ダニエル・L・エヴェレット著』(みすず書房)

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