2011年8月27日土曜日
鏡の中の自分を整える
鏡の中の自分の髪の毛がボサボサだからといって、鏡に近づいて、鏡の中の自分の髪を整えるバカはいないだろう。さっさと自分自身の髪を整える。
この世は自分が映った鏡である、とはよくいわれる言葉だ。
人は自分に気に入らないヤツがいると、その気に入らないヤツを変えようとする。ダンナを変えようとしたり(交換する意味ではない)、システムが悪いんじゃといってシステム変えようとしたり、あの宗教がいけないんだ、といって戦争をしてみたり。
それってつまり、鏡の中の自分の髪型を変えようとする行為なんじゃないのか。(それってバカって意味?)
あるときAさんと一緒に歩いていた。彼女は人とすれ違うごとに、
「いやっ、あのおばさん。妙なカッコウして歩いてる。」
「あ〜あ、あんな風に着飾って。一人悦にいってるんだわ」
一人ぶつぶつとつぶやくこと山のごとし。
彼女は町を歩く一ひとりひとりがいちいち気に入らないらしかった。
それをいうことは彼女にとって何の意味があるのか?人のフリを笑って、自分を高みに置いているのだ。
彼女の口からよく「あの人は悦にいっている」と言う言葉を聞く。
わたしゃ、最初そんなもんかと気にしてなったが、あるときふと分った。
妙なカッコウして歩いているのも、着飾って悦にいっているのも、本当は彼女自身が、そんなふうに他人に見られているんじゃないか、と気にしているんだと。
そういう姿を見ると、外は自分の鏡だなとおもう。自分が思っていることが外に現れているのだ。
これ、自分じゃない誰かがやっているのを見るから分ることであって、自分自身がやっている行為はそう簡単にはわかんない。だけどヒントになるのは、どーも「気に入らない」ことなんだな。他人がやっている行為で自分が「気に入らないこと」があると、たいてい自分でもそれをやっている。
この世はえらいご親切にも、自分の欠点を人様が演じてくれるのだ。
人のフリ見て笑って自分を高みに置くというのは、ほんとはとっても自信がなくて、他人の目が怖いから、その怖さを隠すために、人を批判して自分の自信のなさを覆い隠しているのだ。鏡に映った自分の姿を、おばさんを批判することで覆い隠して見えなくさせているだけのことなのだ。その下に自信のない自分がいる。それを見たくないから人の批判という風呂敷でもって、その鏡を覆ってしまっているのだ。
だけどその風呂敷をいくら厚くかけ続けたって、はずせばいつでもそこにいる自分の姿は消えない。そのおばさんに文句を言いにいったって、それは鏡の中にいる自分だから、鏡をいじくってなんとかしようとするようなもんだ。
鏡に映った自分の姿を(ひえ〜)おっかねえけど、ハラくくって見なきゃいけねえや。。。ほんでもってさっさと自分自身の髪整えることにしよ。
ほんなら、この世はかってに整って来るのだ。
でもさ、その彼女のことを気にしている私も、実は彼女と一緒ってことだな。ゲゲゲー、鏡ってこえ〜。
境界線、難しいよね。
返信削除無関心と心の開放。
だれがどんな格好してても何やってても、
いいんだけれど、あいてが、「気にして
欲しい!!」って思ってたらそれは無関心
になっちゃうんだよね。
つまり、あいてが、気にしてほしがっていることに気がつくと、ぱぱさんはそれに対して無関心を装っちゃうってこと?
返信削除違うよ。
返信削除相手がどんな格好してても関係ないよ。
と思っていても、相手が気にして欲しい。
と思っていたら、私は開いてから見たら
「私に対して、無関心。」って思われるだろう。
ということです。
えーと、『私は開いてから見たら』ってのは、ぱぱさんが心を開いて人を見ると、相手は「私に対して無関心だ」と、思われてしまうということ?
返信削除心を開いて相手を見るのに???
やっぱ、ぱぱさんのいうことは、意味深でむずかしや。
すみませ〜ん。
相手は、自分の思いたいようにしか見ない。
返信削除といえばいい?
たとえば、困ってる人に(いそうに見える人)
に、純粋な思いで声をかけても、
「イヤン!このスケベおやじ!!」ってなるかもしれませんよね?
んで、そんな時、私は、「いやいや、そんな
スケベおやじじゃごじゃんせん!!」って
言い訳する気もないですので、相手から見る
と私はスケベおやじ。心を開くかどうかは、
こっちの都合で、相手がそう共感できるかは
???ですよね?
なるへそー。やあっとわかったあ。(おそい)
返信削除そりゃ、親切心で動いてんのに、
「この、スケベオヤジ!」
って思われたらつらいよな〜。
ってことは、この世は鏡じゃないってことか?
でもこうも言えない?
ぱぱさんは、親切心でやっても、こいつどっかでオレを疑ったりするんだろうな。。。と、無意識にでも思っちゃってたりする事が、
「この、スケベオヤジ!」
って、彼女に言わせたといえるかも。(笑)