2011年6月10日金曜日

母のマイブーム



はたから見たら「アホかいな」と思う事でも、本人にとってみれば、人生通じての一代マイブームとなっていたりする。

やまんばの母は、自分がしゃべったり、歩いたりすることを「遅い」と思い込んでいる。これが彼女の人生最大のマイブーム。

朝起きた瞬間から、動作の鈍い自分に
「いやっ、はよう動かんといかん」と自分のお尻を叩く。
電話がなる。うまく喋られない自分に
「いやっ、はようしゃべらんといかん」とハッパをかける。

これが起きているあいだ中、心の中で喋っている言葉。ひょっとしたら夢の中でも?それが365日。物心ついてからだから、かれこれ、70年間近くになるか。

彼女が小さい時、祖母に言われたのかもしれない。学校でお友達に言われたのかもしれない。そして職場で上司に言われたのかもしれない。「あなた、おそいわねえ」と。

プライドの高い彼女には、その言葉は心に強く突き刺さった。そして人と同じように速く歩こう、速く喋ろう!と自分に言い聞かせ始める。その日からその言葉は彼女の呪文になった。
それは別な言い方をすれば「保険」でもある。そう自分にハッパをかけている間は、まだまし。ハッパかけなくなると、そりゃあもうあんた、ずるずるべったりののろのろばばあになる、そう思い込んでいる。だからつねに「はよう動かんと」「はようしゃべらんと」と保険の呪文を言い続けるのだ。

3年ぶりに母に会うと、彼女は全く動けなくなっていた。立ち上がるにもそこらにしがみつきながらよれよれとおぼつかない。そして台所まで歩くにも、壁、タンス、柱、テーブル、椅子。すべてのものにしがみつきながら歩く。台所に立つ間も自分の身体を支えきれないかのように、たえずゆらゆらとゆれている。

彼女は病気ではない。何度も医者にいき、確認している。骨はと言えば、医者もびっくりする40代の骨密度。どこの医者にいっても、誰に言わせても「あなたは単に歩くだけ。一日15分だけ歩きなさい。それだけで十分」心配になって医者に行くたび、そういわれて帰って来ては、私に電話する。
「私15分歩くだけなんだって~」
とうれしそうだ。こっちはうれしくもなんともない。何度も聞いて来た。どーせ、歩きゃしない。

じゃあ、「はよう歩かんと」という呪文は彼女の人生に効き目があったのだろうか。その呪文を唱えないと、今頃もっとひどい状態であったのだろうか。それはだれにもわからない。

私はこの言葉を子供の頃から聞かされていた。子供心に、その言葉が逆に彼女を呪縛しているように見えた。親子3人で道を歩く。はじめは3人一緒に家を出るが、次第に両親の距離があいていく。2メートル、5メートル、20メートル。。。子供の私は、父と母の間をいったりきたりした。母は距離があけばあくほどあせっていた。そしてなおの事足がもつれた。
 
つづく。

絵:中国のお急須 わたしは急須ファンである。

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