2011年5月17日火曜日
ハイジョスル?
『排除』する。
おしのけてそこからなくすこと。
この世には色々排除することが多いようだ。害虫を駆除する。雑草を排除する。歯垢を取り除く。ヨゴレを取り除く。カラダの毒をデトックス(毒抜き)する。ウイルスを全滅させる。ガンを摘出する。口蹄疫にかかった家畜を全滅させる。放射能を浴びた家畜を全滅させる。
少しでも野菜に虫がついたら、その場で取り除きつぶす。少しでも雑草が生えていたら、草に栄養取られるから抜く。少しでもヨゴレていたら何のウイルスにかかるかもしれないのでさっと取り除く。少しでもガンが見つかったら早期発見でさっと取り除く。少しでも放射能があったらガンになるので排除する。
自然はものすごい英知で満ちている。すべてのことがお互いに影響を及ぼしあい、バランスを保っている。虫は不自然な野菜を食べている。草が生えるのは、土地のバランスを保つため。
ソラマメに大量のアブラムシがついた。まだ若い柔らかい新芽に集中的に群がっている。そのまま放置したらやがて枯れてしまう。すぐ横に生えているカラスノエンドウにも群がっている。私は右手を下にしてソラマメを上に起き、左手でソラマメをゆっさゆっさとふる。手に大量のアブラムシが落ちる。それをフェンスの向こう側にもっていきポイする。殺さない。フェンスにまでもっていききれないアブラムシは、ソラマメを揺すって地面に落とす。理屈で考えると、落とされたってすぐソラマメに戻って来るはず。
しかしそれ以降、ソラマメにアブラムシはつかなかった。5センチとはなれていないカラスノエンドウには相変わらずびっしりとくらいついたままなのに。どうも私がソラマメについて欲しくないことを感じたようである。
「ちょっとこのソラマメ不自然だけど、まあ、ここのやまんばが食って欲しくないって言ってるから、ほっといてやるか」
ってなぐあいで、私の主張を尊重してくれたのであろう。その後あまり元気のないソラマメではあるが、なんとか実は付けつつある。
ところがこれがアブラムシを殺すとどうなるか。ふえるのである。これでもかとやってくる。生きたままそっと外すと、棲み分けを行なってくれるのであるが、殺すとさらにやってくる。
ここに大きな何かの違いを感じるのである。
排除するという行為は心に内と外を作る。敵と味方であり、いいことと悪いことであり、ソンと得であり、害虫と益虫である。ちなみにてんとう虫は、葉っぱの上でいると害虫であり、アブラムシを食べてくれるので益虫である。ようするにニンゲンの側の勝手な解釈なのだ。
私たちニンゲンは、本当に勝手な解釈によってこの世を滅ぼそうとしている。それは単にシステムが悪いのだというせいには出来ない。私たちの心の中にある排除の意識がこの世のアンバランスを生んでいる。どう見てもニンゲンだけが無知で勝手で地球をめちゃくちゃにしているようにみえる。
石けんなし生活と、草ぼうぼう畑で気づいたことは、カラダも自然もそのままでいいのだということなのだった。
彼らは完全に自然の摂理の中で動いていて、バランスを保つ。その根底に流れているのはいうのも恥ずかしいが、愛なのである。すべてが美しく調和のとれた状態にしようとするこのことすべてが愛なのだ。宇宙の愛。そのことにニンゲンは気がついていない。自分でなんとかしなきゃいけないと思い込み、何かが起ったときパニックになる。その後ろには大きな愛がひしめいているというのに。
排除するという行為は、そのことがイヤだと抵抗していることである。なぜ抵抗するかと言うと、それはイケナイことだと教わるからだ。いったん教わるとその後も「これはイケナイ」という視点でしか見ない。残念なことに、その近視眼的なものの見方が、今の文明を作って来た。今その文明が足下から崩れようとしている。これこそ、宇宙の愛なのかもしれない。そのまっただ中にいる私たちは、自分自身をどうしても見なきゃいけない段階に入っている気がする。
私たちは今、何を排除しようとしている?
絵:「セクシイ川柳」表紙イラスト
大好評の「セクシイ古文」に引き続き、新たなセクシイシリーズ!
私も排除されないように、日々頑張つているのでした。
返信削除なにせ、この歳になると、窓際でしかも、瀬戸際ですからね・・・。
そーですそーです。排除されないためにも、日々はりきってまいりましょー。
返信削除んで、やまんばも排除しないでね。
大丈夫い!!
返信削除古〜!
返信削除自らが寛容で寛大で普遍的であることを主張する世界観こそが、激しく異端なり異教徒なりを排除してきた歴史を忘れてはなりません。
返信削除「宇宙の愛」などというものは、つくしさんの脳の中にしかありません。それを認めない人たちを、どうか排除なさいませんように。
田中さん、お久しぶりです。
返信削除おっしゃるとおりです。
寛大を装って、他を排除してはいけません。
「宇宙の愛」は私が勝手に頭で作り上げたもんですよね。
言葉ってむずかしいもんです。私がイメージした「宇宙の愛」はきっとみんなとも違うイメージなのかも知れません。だからこそ排除してはいけませんよね。