2011年4月11日月曜日
自分の身体を信じる2
このごろテレビのコマーシャルでは、信じてる信じてるとうるさい。
この「信じてる」ということば、案外くせ者である。一見心地よい響きに感じるが、その心の奥には、「信じたい」という心理がひそんでいる。ニッポンは強い国、そう信じてる、のは「そう信じたい」のであり、「そう信じているんだから、あんた、裏切るなよ」と言うオドシもひそんでいる。だからそんなコマーシャルを見るたびに、いや〜な気分になる。あんたに脅される筋合いはない。ほっといてくれ!
私は、人に「あなたを信じている」とはいわない。なぜならそれは相手に対して失礼だと思うからだ。その言葉の後ろに「だから裏切るなよ」と入っているからだ。
ということは、自分で「自分の身体を信じる」宣言をした私は、いわば、自分の身体に対して「お前、信じてやってんだから、裏切るなよ」と言うオドシをかけているともいえる。人には言わないけれど、自分に対して失礼な事をやっているわけだな。
ふつー、人が自分の身体を意識するときは、痛〜い思いをしたときや、異性を意識したとき、または老いを感じたときなどである。だいたいが表面的な変化に注目する。「いってエ〜」とか「あ〜っ、体重ふえたあ〜!」ってな事は気がつくが、あんまり、自分の身体がひたひたと何かしらを治している瞬間を感じる事はない。なぜか。黙っているからだ。だけど、おもいおこせば、あの時のケガも、あの時の病気も、いつかは治ってしまっている経験はないだろうか。それはほんとにお薬やお医者様が治しただけなんだろうか。私たちはもっと手前の、もっと素朴な所に注目をするべきじゃないか。身体はひたひたと自身で治しているのだと言う事を。
NASAの医学顧問でミズーリ大学の生命科学教授であったトーマス・D・ラッキー博士が、ある事に注目した。地球の大気圏外に出て大量の放射能を浴びて帰って来た宇宙飛行士が、元気になって戻ってくると言う事実。理屈で考えれば、放射能はとてつもなく恐ろしいもんである。それを大量に浴びたら、とてつもない病気にかかってしまうはずである。それが逆に元気になって戻ってくる。これはどうゆうことか。10年の研究の結果、微量放射能という強烈な刺激効果により、自らの身の防衛のための遺伝子がふえて、結果的に生体活性化に繋がる。生体防御にかかわるあらゆる遺伝子が活性化し、抗酸化酵素や、各種ホルモンが作られると考えられる。のだそうだ。つまり何も刺激を与えないと、そのままのんべんだらりとするが、「こら〜っ!起きろーっ!」とカツ入れられると、シャキコーンと起き上がるのらくら野郎(つまりわたしのこと)と同じ原理か。
と言う事は、麻疹にかかると免疫を付けるのと同じで、病気になるとだんだん強くなっていくのかもしれない。昔病気がちだった人が大人になって強くなる話はよく聴く。放射能は一粒で細胞を破壊するが、それを治癒するために爆発的な新たな細胞が生まれる。そしてどんどん環境に適応していく。それが私たちのからだの中でひたすら行なわれている事なのかもしれない。
そう考えると、私たちの身体はとてつもない英知を携えて、今まさに生きているのだとおもえない?このパソコンを打っている最中にも、莫大な量の細胞が生まれては死んでいく。そうやって巨大なコンピューターは人知れず働いているのだ。ああ〜コーフンするぜ。
と、考える人はあんまりいない。しかしそれを意識するのはとても大事な気がするのだ。
私たちは、何か起こったとき、「たいへんだー!」となる。そして前と同じ状態に戻したいと言う衝動に駆られる。前の状態とは「なにごともなかったこと」だ。しかしその何事もなかった事の後ろには、ひたひたと大自然である私たちの身体が働いてくれているが故の「なにごともなかったこと」なのだ。私たちの身体は、とてつもない大自然なのだ。いまこのここにあるものが、(醜いとか、太っているとか、そんな事は枝葉の部分なのだ)偉大な存在なのだ。私たちの身体、即地球の原理と同じであり、それは宇宙の原理でもある。この偉大な大自然を意識しないのは、なんとももったいない事なのだ。
絵:「ホリデーワールド」カットイラスト
人を信じるということは、裏切られて
返信削除も「信じてたのにぃ!」と文句を言わ
ない事。信じた自分がいけないので
あって、相手は悪くないから。
この件は言わないでね。何故なら・・。
と言う場合もあるけれど、基本は、
そういうようにしているつもりです。
本当かは判らないんですが、催眠術を
かけて、「あなたの手に、これから
焼け火箸をあててみます!」と実は
冷たい鉄の棒を宛てても火傷する
程度には人間の心は強いようですよ。
まぁ「焼け火箸ってなんですか?」
って聞かれちゃうかもですが・・。
そのとおり!
返信削除信じるも信じないもあなたしだい〜。
焼け火箸って何ですか?って聞かれちゃって、やけどしないとなると、やっぱり信じるも信じないもあなたしだい〜なことの証明だ。