2011年2月14日月曜日
コスモポリタンな人
やまんばの若かりし頃、生き方のバイブルは、雑誌「コスモポリタン」だった。そこには新しい女の生き方が満載。大学時代にその創刊号を初めて手にしたとき、うぶなやまんばはコーフンした。
女は強くなければいけない。
女は美しくなければいけない。
女はどん欲であらねばならない。
世界を股にかけて行動しなければいけない。
あらん限りの贅を尽くして、この世の富と権力を身につけねばならない。
男とはつねに平等であらねばならない。自分の名誉のためには、徹底的に戦い尽くす!
と、いうようなことを毎月あの手この手で、私らやまんば世代(勝手に世代を作るな)をそそのかしてきた。いや、言葉が悪いのー。そそのかしたんじゃなくて、導いて来た。うん、導いて来たんだな。
そのかいあって、私らはコスモポリタンな生き方をしなければいけない、とおもいこんだ。んで、女の理想の姿なるものを勝手に自分で作り上げて来たんだな。髪をわ〜っと風になびかせ、胸元を大胆に広げ、かっと両足を広げて大胆なポーズで立つ青い瞳の女性がいる雑誌の表紙を見ながら、
「ふむふむ。こんな風にかっちょいー女に、あたしゃあなるんだ!」
と、目標をかかげていたんだな。自分の容姿忘れて。
よく考えたら、そーゆー理想の生き方を全員がしちゃったら、みんなが一等賞になっちまう。そんなわけない。人生半世紀生きてみて、そんな女の人は、そう見かけるもんではないと知る。「コスモポリタン」という雑誌は、相当高いハードルをわしらにくれたんだ。
ところが、そのコスモポリタンする女の人がたまにはいるもんなのだ。たまにいるから、その人の名をおたまさんと呼ぼう。
彼女はロンドンとNYと日本に家を持ち、その3つの都市を拠点に働くシングルマザー。彼女の身にどんなことが起っても、ありとあらゆる方法で一人果敢に乗り越えていく。これがまたありとあらゆる災難が彼女の身に降り掛かるんだな。なんでかしらんが。で、その巨大な災難をばったばったと次々になぎ倒していくのだ。そのはかりしれないエネルギーと、明晰な頭脳は、アメリカ男もイギリス男もメロメロにさせる。80過ぎの大富豪までも!
これをコスモポリタンな女と言わずして誰をいおうか。
そーゆーお人がいるから、やまんばは知らず知らずにおたまさんと自分を比べて、
「あ〜、情けない私」となる。
いかんせん、大学時代に「コスモポリタン」な女な生き方を目標としてしまったのだ。ことあるごとにそのお手本の生き方と自分を比べて「こっ。。。この、役立たず!」と自分をののしるのだ。んでもって、そんな自分をテッテー的に嫌いになる。
夜、やまんばは窓を開けてお山を見る。
「なんで自分が嫌いなの?そっかー。。。。私の目標はおたまさんなのだな。。。じゃあ、ほんとに私はおたまさんになりたいのか?。。。いんや。ほんとはなりたくない。。。」
人はいつも自分ではない「なにか」になりたがる。だが、その「なにか」は、本当に本当のこといえば、どこにもないのだ。それは全く外にはないのだということに気がつく。それはきっと心のどこか奥深くに描いている自分の内側にある何かの姿なのだ。その「何か」は他でもない自分自身なのではないか。自分自身を徹底的に生きることが本当の自分の目標なのではないか。だから外にいくら目標を求めても見つけられないのではないのか。この世の人々がこんなに苦しいのは、外にばかり目標を求めるからだ。その外にある目標と自分を比べては、それと違う自分を嘆く。。。私たちはそんなことを延々と何千年も続けているのだ。どっかで道を間違えたのだ。そろそろそ方向を修正してもいい頃じゃないか。
さてコスモポリタンとは世界主義者という意味なんだが、自分自身を生きるのはなんてえのんだ?
全く逆じゃねえか!
けど、ひるがえってみると、ほんとは同じことなのかもしれない。。。。地球をくるっと一周して自分に帰る。。。みたいな?
絵:「女学生」
コスモポリタン・・・。わたしゃ無理だねぇ。
返信削除最低!と思いつつも、日本でうじうじするんだろうねぇ・・。
じっさい、雑誌コスモポリタンは、男の人にとって、ちょっとやっかいでしたよね(笑)。
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