2010年12月16日木曜日
まだ知られていない感情?
怒りというものが、言葉によって固定化されたかも知れないので、ついでにいろんな憶測もしてみる。そもそも感情というものは、怒り、悲しみ、恐怖、嫉妬、喜び、などなどの言葉によって表現される。なんとも計上しがたい感覚ってえのんは、「言葉にならない」ですまされる。だいたい上記のものが主流となっているが、ひょっとしたら、この世には、まだ知られていない感情が存在しているかもしれない。赤色と青色の間には、紫色が存在するように、怒りと悲しみの間になんかまだ言葉にされていない感情があるかもしれん。KYみたいな。(意味不明)
んで、それが「発見」されたあかつきには、皆大手を振ってこれがその感情だあ〜と表現する。そうやって新しい感情が、市民権を得る。純文学には、その手の感情があふれているので、これでまたあらたな純文学が開拓されるのであろう。
ということは、感情とは5、6種類だけではないかもしれないのである。音が8音階でできていると勝手に思っているが、それは西洋さんだけの決まり事で、アラブさんとこにいきゃあ、64音階(?)もあるように。そうなったら、純文学はいそがしーのである。
ではその元になる最初の言葉になっていない感覚とはいったいなんぞや?なのだ。何やら胸の辺りがもぞもぞと、もやもやとするあの感覚である。
何か出来事があったときや、人になんか言われたとき、なんか知らんがもやもやする。それは即座に怒り!と反応するが、それはその言葉を知っているからだ。同じ過去の体験を思い出し、
「こっこれは、過去にあったぞ。そうだそうだ、これは怒りジャー!」
と瞬時に脳みそが言葉によって導きだしてくるのだ。
じつは悲しみも同じように反応からやってくるのではないか?
「こっ。。このもやもやは何だ?そうだ、これは悲しみという種類のものだ。え〜ん」となる。
つまり、ひょっとしたら、最初のもやもやはほとんど同じ感覚で、そこから、これは、恐怖や怒りや悲しみや喜びであると判断した脳が、その言葉によってそれを増幅しているのではないか?
最初に何らかのエネルギーが発生して、それを脳が各分野に振り分ける。(ちょっと間違えたら、怒りが喜びになっちゃうかも?)それは放射線状に広がり、これは悲しみだあ〜とどんどんその力を増していく。ということだったら?
すると、感情というものは、ほとんど同じ感覚から来ているという事になる。ある種のエネルギーの爆発。ひえ〜、そうなっちゃうと、感情ってたいした違いのない、ただのエネルギーってことかあ?
純文学さん、これは事件です。
絵:「ロクシタン」ネット会員さんの似顔絵
人間の感情はアナログなものなので、何処から何処までが、怒ってるって難しいですよね。喜怒哀楽は色々迷った挙句に、やっと4つに分類できたものなので、歳とった私としては、また増やすのは止めて!としか言えません・・・。
返信削除「やっと4つに分類」って、わらえる〜。
返信削除別に分類しなくていいよ。
みんな、エネルギーの爆発なのだあ〜!
あれは喜、これは怒、ほんでこれは哀、そしてこれは楽。。。なんて、きっと仕分けしないほうが、大きなエネルギーをそのまま生かせるんじゃないか?と、あらたな説を考えとります。
そのエネルギーを使って、電気も石油もいらないフリーエネルギーとして使うのだー。