2010年2月20日土曜日
行列のできる畑
ここん所の雪で畑にも顔を出していない。ひさしぶりに行ってみると、鳥の集団に出くわした。ヒヨドリが私の姿を見つけたとたん、わあ〜っとクモの子をちらすように飛び立った。あとにはむざんな野菜の姿が。ブロッコリーの葉っぱはその面影もなく、白菜もあたまをかじられている。青々としたタアサイもかじられていない葉っぱがない。ノラボウは大きくなる途中で全滅。ゆっくり育ったホウレンソウもしっかり味見をされている。特にうまく巻かなかった白菜。これは見事にバラのように広がって、しかも美しい緑色の葉っぱをしていたが、すべて食べられてしまっていた。巻かれた白菜よりもバラのように広がった緑菜(緑色の白菜)の方がお好きらしい。しっかり根元まで食べられていた。しかもそこにはおびただしい糞、糞、糞!ヒヨドリの糞ってでっかいのねん。
これ以上食べられたら私たちの食い分が消えてしまうので、残りのぼろぼろになった白菜をかろうじて収穫。でも少しだけヒヨドリちゃんの分の白菜も残しておいた。
夜、今日の話をダンナにすると、
「そりゃあ、えいもんもらったじゃないか」
「へ?」
「たんまり栄養もらったじゃん」
ああそうか、ヒヨドリの糞だ。そうだ。自然界はニンゲンが手を入れなくても自家栽培をしている。木や草や木の実。ほっておいても自然が豊かに育つのは、その循環だ。草が根っこを枯らしそこに空間が出来る。そこに微生物が住み土壌を豊かにする。時々野生動物がうんこをして有機物を注入。そうやってますます土壌は豊かになっていく。まさにウチの畑は、その自然界の栄養をたんまりもらっちゃったのだ。
「ねえさん、団子うまかったよ。ここにお代をおいておくぜ」
旅人は峠の茶屋で一杯の茶と団子を楽しんで、そこに銭をおいて懐に手をつっこんでまた旅立っていく(木枯し紋次郎か?)。
まさにこれではないか。
「ねえさん、白菜うまかったぜ。ここにお代をおいておくぜ」
そういってヒヨドリはプリッとうんこをおいていくのだ。
峠の茶屋のねえさんはそのお代でまたうまい団子を作り、高尾の畑のねえさんは、そのお代(糞)で、うまい白菜をまた作るのだ。
ありのままの姿とはこういうことをいうにちがいない。
近所の畑は「鳥の被害」を削除するために野菜にビニールや不織布をかける。鳥からはお駄賃がもらえないので、自分で肥料を買って来て自分で入れる。それだけ手間がかかる。だが草ぼうぼう畑は、草や虫や動物たちが持って来てくれる栄養で手間いらず。野菜は自然と同じ方法で根を張り自ら大きくなる。この力はそれを食べるものに、とてつもないエネルギーを与えている。
白菜は元々巻く野菜ではなかったという。本来はバラの花のように広がるのだそうだ。だからあの状態の白菜はうまかったのだ。ヒヨドリはそれを知っている。
食われてしまうのはくやしいけれど、そうやって自然界はプレゼントをおいていく。これを繰り返しながら、きっとますますうまい野菜に育っていくんだろう。
まさに行列のできる畑になるのだ。(動物たちが畑の前で行列作って待ってんのか?)
絵:「モンスター列伝」土光敏夫(こなきじじい)
そうですねぇ。
返信削除考え方ひとつで気分変わりますよね。
なすがまま、キュウリがパパ状態。
ものぐさ太郎の私にはぴったしですね。
そのなまぐさ太郎パパさんの働く分を、きのう残しておきましたよ。フェンスの。
返信削除ナマグサちやうで、ものぐさやでぇ~
返信削除あ、あれ〜?
返信削除ほんまや。ものぐさやった〜ん。
なまぐさは、生臭坊主でしたんがな。
戒律守らんで肉魚食いよるさかい、生臭いからまなぐさや〜。
私はなまぐさおばばだ〜。
しんづれいいたしやした。