2010年2月2日火曜日

シン。。。




昨日夜から高尾は雨から雪に変わって、夜中降っていたもよう。朝起きると美しい光景が広がっていた。今朝の8時。雪はすべての音を消してしまう。風もぴくりとも吹かない。あたりはシンとしずまりかえっている。時々野鳥がピーッと鳴く。それだけが、この世がまだ存在している感覚を呼び戻してくれる。

生まれてから、たった一度だけ、音がない世界に入った事がある。それはアメリカの西に位置するデスバレーにいったときの事だ。デスバレーはスタートレックの火星として撮影されていたくらい不思議な場所。地球とは思えないような砂だらけの場所、塩が固まってとげとげになった悪魔のゴルフコースと呼ばれる場所、ベイントロックと言われる色とりどり岩が広がる場所。でも中でも圧巻なのは「The Racetrack」と言う場所。ここは悪魔のゴルフコースと違ってまったくマイナーなところ。ほとんど誰も行かない。しかもそこにいくには、ぼっこぼこの悪道路を車を延々と走らせなければいけない。私はそこの写真を見たとき、行きたいと思った。

ラスベガスで、デュランゴというでっかいアメ車を借りて、その地へひた走る。
その場所は元々沼地だったのではないだろうか。延々と広がる真っ平らな大地。からからに乾いてひび割れた美しい模様が広がる。その上を何個かの小さな小石がぽつんぽつんと存在している。その石たちは自分で好き勝手に移動したらしい。その移動のあとが、浅い溝のみちになって彼らのあとに続いている。あるものはまっすぐ、あるものは途中でカクンと折れる。たぶん気分を変えたかったのだ。不思議な事に、みんな思い思いの方向に向かって進んでいる。風で吹かれて動かされたのか?石が風で動く?では方向がバラバラなのはなぜだ?
いったいどうやって移動したのか、地質学者にも今もって判らないそうだ。
でもふと思った。かつてそこは湖か沼地だったころに、誰かが遊んで泳ぎながら転がしたのではないか。だが、何の生物の痕跡もない場所で、いったい誰が?


そこに立ったとき、私は啞然とした。
そこは生命の息吹も何一つ感じられない、まったく音の存在しない場所だったのだ。風もぴくりとも吹かない。空気が動かない。私の耳は無意識に何かの音を探していた。しかしそこでは自分の心臓の音さえも聞こえなかった。
私はまっすぐ中心に向かって歩いていった。真っ平らな大地のど真ん中にまっくろい岩が一つ鎮座していた。まるで「私がここの持ち主だ」といわんばかりに。その岩にさわってみる。やわらかであたたかかった。その岩に腰掛けながら、ここはインディアンの聖地なのだろうと感じた。
と、私はいきなり地面に張り付きたくなった。そのまま地面に転がった。
何の音も聞こえない。心は不安になるのかと思いきや、言葉にならないあたたかいものにつつまれていた。私はそのなんとも言えない心の高揚を押さえる事ができなかった。だがどうやってそれを表現していいのかわからない。ただそのなにかを感じるままに、時間の経つのを忘れていた。
人は自分の外に対象物を見つけたとたん、自分とそれを分裂させるのではないだろうか。音のない世界に入った私は、自分と何かを分裂させるための対象物を見つけられなかった。そして、私は自分が消えていくのを感じた。はたして自分は人間なのか、それともその場所そのものなのか。。。
私は本当にここにいるのか?ゴロゴロとその場で転がってみる。まるで自分の存在を確かめるかのように。

人は五感でこの世を感じる。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。しかしこの場所で感じたものは、五感以外の別の感覚を使っている。それこそが、まさに第六感目なのではないのか?「シックスセンス」と言う映画があったが、第六感はなにもお化けを見る事だけじゃない。それも含まれる、もっと大きなものなのだ。周波数で行くともっと高い振動で回転しているなにかなのだ。それを感じ取る嗅覚が人間には備わっていると確信する。それは「ほら、なにかいつもとちがう空気感じゃない?」とか「きもちいいねえ〜。なんともいえないねえ」とか「ここ、いやだわ」とかいう、理屈じゃない何か。それは決して、言葉にはならないものなのだ。

シン。。。。という音のない世界では、聴覚が使えない。だがそのもっと奥にある何かを人間は感じ取る。それは自分と対象物の境を取り払う感覚なのかもしれない。五感はまさに物質的世界を司る感覚器官。その感覚は自分と対象物を違うものだと分け隔てる。
しかし実は人間はそれ以上の感覚を使って今この瞬間も生きているのだとおもう。物質だけではないものをすでに感じながら。それはずっと前から知っている感覚なのだ。


絵:「けんぽ」表紙/節分

2 件のコメント:

  1. まいうぅーぱぱ2010年2月3日 15:12

    昔、お客さんの電波実験室って所に入ったことがあります。
    月亭八方じゃない、四方八方スポンジが張ってあって、音が全く反響いたしません。当然、完全防音でいかなる音も入ってまいりません。静かにしていると
    完全無風無音です。
    なぜかしら空気が重たく感じましたね。
    あそこで一日いたら、ちょっとやばいかもです・・・。

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  2. そりゃ、いい経験しましたね。
    そんなとこに1日いたら、気い狂っちゃうかも。

    人は四六時中音を聴いて、自分の存在や居場所を無意識に確認しているのかもしれないね。

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