2009年7月31日金曜日
キュウリの暴走
納得のいかないことがあった。
畑をいっしょにやっているおばあちゃんが植えたキュウリの苗が、フェンスのそとにあった。そこは草がぼうぼう、かっちかっちの地面で、柔らかくほぐしもしていないところ。おばあちゃんは余った種を自分ちのポットで育て、あっちゃこっちゃに植えまくったのだ。まわりは葛や他の強烈な山の草がはえ茂っている。にもかかわらずその中でおばあちゃんのキュウリはどんどん葉っぱを大きくし、そこらの地面を凌駕していった。その苗は今、巨大なキュウリを次々にならせはじめた。
「草といっしょに生えると栄養が取っていかれちゃうよ」
と、近所で畑をやっているおばちゃんから言われたが、このキュウリの栄養はどこから取っているのだ?
大きな葉っぱをかき分けかき分け覗くと、草におおわれてお日様もささないようなところに、でかいキュウリがどっかんどっかんといる。それを見つけた時のコーフンったら。「うげ〜」「ひや〜」「すっげえ〜」の感嘆詞しか出ない。このキュウリのきめの細かく濃厚で、そして甘いこと!昔の人はキュウリをおやつにしていたというが、これはおやつに違いない。
かたや私の実験室。ここはそのキュウリが植えられているところとたいして変わらない場所。むしろおばあちゃんのキュウリよりも日が当たる場所。その草ぼうぼう実験室は、植えたはずのキュウリの苗がまわりの草に押されてどこかに消えてしまっている。草をかき分け探すと、ひょろひょろのもやしみたいな苗がかろうじて草の中に存在していた。ほんのちょっぴし実を結んだキュウリも、日影と湿度で溶けていた.....。
...何なんだこのちがいは!
同じ草ぼうぼうでもなぜこんなに差が出るんだ!?
そこでおばあちゃんと私の行動の違いを考えてみる。
おばあちゃんは植えたら、必要な芽カキはちゃんとやるが、あとはしらん顔している。一方私は、ひたすら苗に目をかける。「どれどれ、おっきくなったかなあ〜?」「この草はとるべきか取らないべきか...。」「あんまり草ぼうぼうだと日影になっちゃうから、やっぱ草刈らないとなあ」「でも刈ると虫がくるからなあ....」と、いちいち気にしている。
場所も条件も同じ。違うのは私は種から植えて、おばあちゃんは苗から。おばあちゃんの苗が植えられた頃には、私が種から植えた時と同じ大きさだった。どっちかというと、私の種の方がその地に根付いているから強いはずだ。
やはり思いに違いがあるのか...?
私が気をかけ過ぎるのは、つまりどこかで「ちゃんと育ってくれるだろうか?」という疑いがあるのではないだろうか。その疑いがキュウリの生長を妨げている.....?
おばあちゃんは、植えたら疑わない。「あ、そのうちなるでしょ」ってなぐらい。そうすると、自然の摂理はうまく作用する。まわりと折り合いをつけながら、すくすくと育つ。一方私は、大丈夫だろうか、ホントに育つんだろうか、もし育たなかったらどうしよう...?と、どっかでその苗の成長を疑っているのだ。
これは子供の育て方にも似ていない?
「あの子、大丈夫かしら?へんな子にならないかしら。私がちゃんと監視していないと何しでかすかわからないじゃないの」と親に始終疑われて(心配されて)いたら、子供はそれに気がつくってもんだ。「あたしのこと信用していないのね...!」と。
で、「なら、信用してないようなことしてやる!」とあらぬ行動に出ちゃったりする(?)。
でも「あの子は大丈夫」と親が全然心配してなかったら、子も何となくそれがわかる。親に信頼されている安心感から悪いこたあできない。私もそんなふうに親にほっぽっとかれて、悪いコトできなかった(笑)。
『庭師が種を植えるとき、彼らは芽を出させようと努力をしないし、種が植物へと育っていくことについて疑いもしない。ひとつひとつの種の中に植物を創造する必要なものすべてが入っているという確信が揺らぐことはない。そして庭師は結果に固執することなく、結果はそこにあることを知っている...。』「あなたが『宇宙のパワー』を手に入れる瞬間」より抜粋。
なるほど。いらん世話やくから、キュウリがうまいこと育たんのやな。おばあちゃんは、過去のいろんな経験で「キュウリは勝手に育つ」ということを知っているのだ。まかせきっているのだ。(はた目には無責任に見えるのかもしれないが、これが極意かもしれん。これが宇宙を信じるってことか?)キュウリさん、疑ってごめんなさい。
これはいろんなことに言える気がする。仕事のことだってそうだ。先日久しぶりに営業にいった。犬が出迎えてくれる感じのいい小さな出版社だった。私はそこにそっと種をまいたのだ。それが育ってくれるか実を結んでくれるかは、また別の話だ。それを「どうだろうか、大丈夫だろうか、気に入ってくれるだろうか」と気をもんでその種の成長を妨げてはいけないのだ。結果に固執してはいけない。どんな結果になろうとも、すべては大いなる善に向かって前進しているのだ。それはまったく予期しない方向に進むかもしれない。でもまず、種はまかないと生まれないのだ。
いや〜、畑って人生のせんせーだなあ。
絵:けんぽ表紙『花火とスイカ』
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