2009年1月6日火曜日
ニンゲンウイルス
3日からまた畑がはじまった。
地面を掘り起こして柔らかくするにも、地面の下が凍っているのか、ものすごい固い。力一杯クワを振り下ろしてもちっとも地面に刺さらない。しょうがないんで、スコップでぐりぐりとやって掘り起こす。
5、6年前までこの畑にかかわっていた人が、近所の知り合いだった事が判明。
「あの畑はなあ、オレの血と汗がにじんでんだよ〜」と感慨深げ。あの真っ黒でほくほくの土はきっと彼の愛情の現れだったんだなあ。
それにしても、たった5、6年ほったらかしにしただけで、ああも自然に帰るのか。一体自然の力ってどんだけすごいんだ。
人の手が入らない瞬間から、竹や葛の根っこが地面をはいまくり、土の上をあっという間におおいつくす。そこに野性の動物たちが住みかを作り、ぱっと目にはそこがつい最近まで畑だったなんて、だれがわかろうか。
それを思うと、この東京という大都会でさえも、人がいなくなったなら、あっという間に自然に飲み込まれてしまうんだろうな、と簡単に想像できる。
私はニューヨークからここ高尾に来て、山の仕事に従事する人や、自然保護の人たちなどたくさんの人たちと出会った。その間にいろんな事を考えさせられる。同じ自然を愛する共通した心持ちであるにもかかわらず、組織やグループになるとそれぞれの考え方の違いで対立する。
山は守るために間伐しなければいけないのだ、という人もいれば、山を守るために木は切ってはいけないのだ、という人もいる。
でもそうやっていがみ合っているうちに、篠竹や葛は、もりもりと根を生やして領地をたくましく広げていく...。
近頃「このままでは地球は滅亡する」とか「地球が泣いている」とか言う言葉を聞く。
フキンシンな私はそんな言葉を聞くと思わず笑っちゃう。
地球はそんなに弱っちいのだろうか?
海辺で育った私は、水平線が大きな弧を描いているのを知っている。それは地球の輪郭の一部だ。その弧の延長線が地球の大きさ。それをイメージすると、めまいがするほどでかいのだ。
地球さんにとってニンゲンという種は、ごぞごぞと肌の上をはいまわるウイルスのひとつに過ぎないんではないだろうか。そのちょっとばかしうるさいウイルスが、今地球さんのお肌を乱している。
「なんだかかゆいわねえ...」と、思い始めているのかもしれない。
ひょっとしたら地球さんはそんな種を見ながらあくびをして、
「そろそろここらで、くしゃみのひとつでもしてやろうかね」と考えているのかもしれない。
あの巨大な地球さんが、もしくしゃみひとつでもしてもらっちゃあ、ニンゲンウイルスはひとたまりもない。あっというまに宇宙の果てに飛ばされて、宇宙の藻くずと化す。飛ばされたついでに、火星にでもしがみつければいいんだけれど。
私たちの科学では、いまだ地球の中は何もわからない。どこまで掘っていっても、せいぜいスイカの薄い皮の部分までしか掘れないと言うではないか。そんな軟弱なウイルス種が
「おれがもっている核で爆発おこすぞー!」と脅しても、たんに自分に降りかかってくるだけの事である。
話が飛んじゃった。
結局、私たちの言う「自然」とは、ニンゲンにとって都合のいい自然(環境)をほしがっているだけの事じゃないのだろうか。
それを言葉だけとれば、人格的にすばらしいように聞こえる。「地球にやさしく」とか「自然を守れ」とか。
でもほんとは「ニンゲンにやさしい地球になってほしい」とか「ニンゲンにやさしい自然を守れ」がホンネじゃなかろうか。だって温度がちょっと上がっただけで、ちょっと下がっただけでヒーヒー言ってんだよ。極寒になろうが極熱になろうが、大自然は大自然じゃないか。
自然とはもともと荒々しいものなんじゃないだろうか。そうやってたくさんの文明や生き物を飲み込んで来たダイナミックな生き物なのではないだろうか。
ニンゲンとはとても弱っちいもんなんだ。
まずはそのことを謙虚に受け止める事なんだろうな。巨大な自然に寄生するように生きる小さな生き物なのだから。
絵:大京観光月刊誌『ELSA』
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