2024年7月5日金曜日

信じていることと真実は同じではない


 

誰かに自分のことを否定的に言われた時、

そう言ってくる誰かを責めたくなる。


「そうじゃない。違う。私はそんな人間じゃない!」

必死でそれを否定したくなる。


だが実は、相手は私を責めているのではなく、

自分がそう思っているのだ。


自分はこんな人間だとか、

相手はこんな人間だとか、

そう「自分が信じている」ことが、表に現れただけ。


つまり目の前に現れているものは、

自分が何を信じているかをチェックするため「だけ」にある。


美しい風景を見ている時、それを信じているから表に現れた。それはオッケー。

心休まるものを否定する必要はない。


しかし「うっ」となる風景やシーンを見る時、

自分が何を信じているかを探ってみるのは、自分の心を知る上で非常に役に立つ。


特に人との関係でその抵抗はたくさん起こる。

抵抗が起こるとき、そこには信念がある。

人はこうすべき。あるべき姿。


それと逸脱している人を見ると心は動揺し、それを非難したくなる。

あるいは自分が一番嫌いなことをやっているかのごとく指摘されると、

火のようになって怒る。


「違う違う!私はそんな人間じゃない!」


そして「そもそもそんなこと言うあんたがそう言う人間なんじゃないの?!」

と、火に油が注がれる。


そうやってバトルが繰り広げられるわけだが、

そこに終止符が打たれるはずもなく、泥沼のままタイムアップとなり、

次の試合が始まるまで持ち越される(笑)。





「お前は〇〇だ」

「いや、そう言うお前が〇〇だ!だってお前が俺を〇〇だと見ているからだ!それは投影だ!」

「それを投影というお前こそが、それを投影してるじゃないか!」

と、なまじっか「投影」と言う言葉を知ってしまったがゆえに起こる意味不明な投影バトル。


これは「〇〇はいけない」と言う信念を誰かになすりつけるゲームを繰り返しているだけだ。

誰かがこれを「う●こ」投げつけゲームと言ったとか言わないとか(笑)。



実はこの「う●こ」は、誰のものでもないのだ。

「う●こちゃん」などと言う人物はいない。


ただ、自分が、「自分は『う●こ』だ」と、密かに信じているだけなのだ。

だから誰かに「お前は『う●こ』だ」と言われると、むかっ腹が立つ。図星だと思ったから。





この時、そう「信じている」のだということを

ただ教えてもらっただけなのだと理解してくると、

ことはがぜん違ってくる。





「『現実』とは、その人が信じた通りに、見えているだけの幻である」

「『現実』とは自分自身が何を信じているかをチェックするためだけにある」

「自分の中の固定観念が何を信じているのかを知りたければ、ただ目の前の『現実』を見なさい」


上は、最近買ったさとうみつろうさんの本『神さまとのおしゃべり』に書いてあった言葉だ。


投影という言葉は、かなり恐れを生む。

罪悪感を抱えている心は、その言葉に怯える。


「これを見ているということは、私がそうなんだ」と、

やっちまった感がぬぐえなくなる。

罪悪感がさらに罪悪感を生み、泥沼の心模様になる。(←経験者は語る)



そうではなかった。

そう信じていただけなのだ。


「信じていた」ことと「真実」は同じではない。


だから誰かに否定的なことを言われると、


「あ。自分で自分のことをそう思っているんだな。

でもこれは真実ではないから、これを信じることをやめよう」


と、そう信じてきた自分を受け入れ、

そこに現れている恐れがある心を赦していく。


恐れが現れた時、それは消えていくためにあると思うと、心は安らかになる。

消えていくために出てきてくれてありがとう~。


すると否定的に言ってきた相手にも、

なんだか知らんが感謝の念まででてきたりする。


信念は恐れを生む。

日々の出来事の中に、自分の信念を見つけることができる。

それは自由になれるチャンス到来のしるし。


恐れと共にくっついている信念が、

感謝と共に消えていくと、

どんどん軽くなっていく。














和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです




2024年7月1日月曜日

私の中にある

NY時代の私
私が初めて一人でNYに行った時、泊まっていたホテルの前で。
このホテルは部屋一つ一つをアーティストたちが作品にしていた。

 

世界は自分の投影だという言葉はよく聞かれるが、

それが本当なのだと徐々に実感し始めている。


母は私の憧れだった。美人で気品があってお茶、お花、そして絵に才能があふれていた。考えることに全くブレがなく、それでいてあらゆることに受身でいられるという強い意志力があった。五感は鋭敏で観察力と直感力にあふれ、私に隠し事はできないほど完全に見透かされていた。


幼い私はその眩しいばかりの母を崇め、恐れ、そして絶えず自分と比べて自分の存在を呪った。私の劣等感は、彼女を通してガンガン養われていった(笑)。


彼女は私にはないものを全て持っていると思っていた。だから彼女が持っているようなものを私は欲しいと願っていたせいか、いつの間にかアートの世界に入っていた。彼女は絵で食べてはいなかったが、私は絵で生計を立てるまでになっていた。しかし私の心はいつまでも彼女に追いつけない劣等感と欠乏感を持っていた。





彼女が亡くなった次の日のお通夜の晩、彼女が私から消えていた。

彼女の存在が外のどこにも見つけられなかった。


どこにいたのか。

私の中にいた。



同じようなことが過去2回あった。

一つはコロナが始まる直前に、高尾から京都に引っ越そうと物件を探しに行った時のこと。あちこちの物件を見て回ったが心躍るものはなく、意気消沈して帰る日の朝、ホテルのベッドで微かな声を聞いた。「京都はすでにお前の中にある」

ああ、そうか!外を探す必要はなかったんだ、私の中にすでにあったのだ!そう思った瞬間、京都行きは消えていた。


もう一つは最近のこと。

先月の展覧会でギャラリートークをした明け方のことだったか、ある人物の存在がものすごく近く感じた。最初は抵抗していたが、抵抗をやめると、すーっとその人物が私の中に入ったのだ。なんとも言えぬ心地よさに身を任せていると、他の人々が次々に入ってき、さらにまわりの物質まで入ってきた。

入ってくると体に溜まってくるように思うのだが、入れば入るほど私が透明になっていった。


それと同じことが今回も起こっていた。


私は母という自分にはないものを全て持ち合わせた存在として彼女を外に見ていた。

京都もまた、私の手の届かぬもの、かなわない存在として外に見ていたものだ。


だがそれこそがこの世界は自分の投影でできているといわれるゆえんか。

私は私の中にあるものを外に放り出して、自分にはないとした上で、それを探し求めていたのだ。


外に出して目の前に表したものは、重く実感を伴って存在する。

それを見ることによって絶えず自分のいたらなさを感じ続け苦悩する。

これがこの世界の成り立ちか。




母の死によって、母は私の中に戻った。


京都のホテルの朝のように言葉が来たわけでも、

ギャラリートークの次の朝に見たビジョンでもない。ただ、そう感じる。


どうしてそうなったのかはわからないが、

臨終の際、大好きだって伝えたこと、

彼女にめいっぱいの感謝と、

彼女を全面的に受け入れたことが関わっているのではないかと思う。

それはすなわち、自分自身を受け入れることになるのだから。




今の私は母を外に見ることがなく、遺影に話しかけることもしない。

話しかけるとは、その存在を外に見ることになるからだ。


外に見ないからといって寂しいわけではない。

その存在がわたしとともにある。

私の中に、彼女の存在の大きさも、京都もある。


感覚としては、「自分の体」「自分」という、外と自分の境界線のようなものがどんどん緩んできている。どこかに風穴が空いたような、いつも風が通り抜けているような、軽くて明るい感覚。



自分にはいらない!と外に出したものが帰ってくることは、

幼い頃「宇宙は私の中にある」という感覚を持ったあの時と同じものだ。


私は外に突き放したものを、どんどん回収していきたい。













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