2024年1月13日土曜日

変化から不変へ

 




ある時考えた。

毎日同じことの繰り返しじゃないか。


朝起きて、ご飯食べて、仕事して、お昼食べて、仕事して、

晩御飯食べて、お風呂入って、寝る。

朝起きて、ご飯食べて、、、、。


すると心は変化を求める。

変化とは、突然の病かもしれない、事故かもしれない、、。

変化を求めつつ、そこに恐れがあった。


いやいや。恐ろしい変化だけじゃないぞ、いいことの変化もあるじゃないか。

宝くじ当たるかもしれないし、めっちゃいい話が来るかもしれない。

しかしそれも一時的なものだ。


毎日同じことの繰り返しだとしても、変化には変わりない。

徐々に体は衰えていくという変化。

大きな変化か、小さな変化の違いだけで、変化していくことには変わりない。


変化するものは真実ではない。真実は変化しない。


では私はどこを見ればいいのか。

夜空を見ながら、正しい心(聖霊)に聞く。

「あなたはこの世界をどう見ているのですか?私にあなたの見方を教えてください」


目の前の真っ暗な森を見て思う。

これではないのだ。これは常に変化する。


体は変化を捉える道具。

見て、聞いて、匂って、味わって、体の感覚を味わって、そして今考えている。。。

この五感と思考ではないものに心を凝らした。


変化しないもの。。。それを捉える。

不変なるもの。それが真実だ。


それを掴もうとした。

すでにここにある、もうずっとそこにあるものに。




朝目を覚ますと、し。。。ん。。。としてた。

周りの音ではなく、心の中に静けさがあった。


いつもは目を覚ますと心が騒ぎ始めた。

あれをどうやってこうやって。。。

あれはどうする?これからどうなる?


だが代わりに静けさがそこにあった。


体を動かすと腰が痛い。でも恐れがなかった。ただ痛みがあるだけだった。

痛みの恐れは、私が痛いと信じているからだった。

事実はただ痛みがあるだけだった。


正しい心は感覚を通して教えてくれる。

こういうことだと。


私はヒリヒリとしたこの世界にピントを合わせ続けてた。

その世界の中でどうにかして幸せを手に入れようとしてきた。


60を過ぎて体の衰えを知る。

ここから先は右肩上がりにはいけないのだ。ただ下降するだけなのだ。

ゆっくりか急速にか、そのどちらであっても死に向かっていることには変わりはない。

肉体を持って見るこの世界の限界を体感した。


だからこそ、そこではないものに今目を向けられる。

これが若かったらそこまで切羽詰まって向けられなかっただろう、

まだこの世界に未練タラタラだったから。


今、見えてもいないものの大きさを感じている。そこに心を向ける。

その時、この世界にヒリヒリとしたものを感じない。

ピントがそこに合わされていないからだろう。

ただ大きなものにゆだねている。


大きな静けさの中で、何かが躍動している。

見えている世界は、私に何も影響しない。

そこに安堵がある。






絵:「香り」






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