2023年6月1日木曜日

通り過ぎる


 

兄弟が間違ったことを話している。

それを正そうとする自分に気づいた。


その瞬間、さっと何かが入り込んだ。

言葉にならないものが、コンマ一秒もない短い時間の中に。


それを言葉に置き換えると、こう言う感じだった。


そうだ。このままでいいのだ。私は何も正さなくていい。

彼は間違うままでいいのだ。それが彼の役目。

私はただそれを受け入れるだけでいい。


そう。この世のすべてが間違っている。

そのすべての一部をどう正すのだ?

正せば、それを実在化させる。

間違いがそこにい続ける。

私がそこですることは何もない。


私は安堵の中で、彼の言葉を聞き続けた。




最近、目の前で起こっていることはすべて結果だとじわじわ感じる。

私が思ったことの結果。

兄弟が間違ったことを言う。

それもきっと私の思いの結果。


心の中に罪悪感があれば、そのことを嘆くだろう。


私は彼に対してそんな人間だと思っているから、それがあらわれたのだ。。

これを投影というならば、「私」が間違ったことを言う人間だと思っているから。。。


今度は自分を責め始める。

投影という言葉は、瞬時に罪悪感を引き起こしてくる。


その投影の呪縛に長いこと絡め取られていた。

自我はあらゆることを駆使して、自分を攻撃するための道具とする。

投影もその一つ。


私が間違ったことをしているのか。

それとも彼が間違ったことをしているのか。

ここに分離がある。

罪悪感はどちらかに罪があると言う。

私か彼か。


事実は、間違った考えがある。それだけなのだ。

彼も私もどちらでもない。


どこかで考えられた間違った考えの結果がそこに現れただけだ。


結果はそれが消えていくために現れた。


その現れた結果が不快だからといっていじると、またそれは現れる。



私はそれをいじらない。

ただそれを眺め、通り過ぎる。


するとそこにもともとあったものがじわ~ッと現れてくる。


間違いも何もない、平安がそこに広がった。





絵:「ホタルブクロとどくだみ」





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