2023年4月14日金曜日

兄弟の大いなる愛


 


「ひょっとしたら、私は彼女の大いなる愛を受け止められていないのではないか?」


急にそんなアイディアが出てきた。


え。。。彼女の大いなる愛。。。?


「自分は兄弟の大いなる愛に気がついていないだけなのじゃないか!?

気がついていないから、受け取れないのだ!」



そう気づいたとき、そこに友達の大いなる愛を見た。


目の前にその人はいないけれど、

今私の頭の中にいる彼女の本当の姿がそこにあった。


まるで今まで覆っていた布がパサっと落ちたかのように、そこにいた。


びっくりした。


彼女の愛は静かで、さざ波ひとつ立たない聖なる湖面。

大いなる水をたたえて限りなく広がる愛だった。




今まで私は何を見ていたのだろう。

彼女の罪を見て、私の罪を確認する日々だった。


あの瞬間から、

私の罪を彼女に映すことができなくなっていた。


きっとどんな言葉が私に投げかけられても、

その形態の向こう側にいる彼女を私はもう知っている。

それに気がついている限り、モーマンタイだ。(と思う笑)





そしてまた別の友人の愛を見た。


その彼女の愛は熱い愛だった。


「つくし!愛している!」

とバーンと私に向かって両手を広げている。

彼女は全世界に向かって愛を放射していた。


彼女が過去にずっと外に追い求めていた真実の愛は、実は自分自身の中にあったのだ。

彼女が愛そのものだった。

とてつもないパワフルな愛だ。なんて強い愛なんだ。




大いなる愛に違いはないのかもしれない。

だから私が見たものは、本当の愛ではないのかもしれない。


それでも彼らが私の心の一部なのだとしたら、

静かな湖面が広がる愛も、愛を高らかに歌う愛も、私なのだ。


そしてまた近くに、

喜びと遊び心で飛びはねている愛があった。

すべてを包み込んで罪を赦し、溶かしていく愛もあった。

それも私の愛なのだ。




これが「兄弟の神聖さを見る」ということなのだろうか。


私は今まで「兄弟の神聖さ」とは、光の中に包まれた美しい兄弟の姿だと思っていた。

でも私が見たものはそれではなかった。


それでもそこに一切の罪はなかった。


時には湖面のようなイメージを見ることもあるが、そうとも限らない。

形はないけれど、それぞれの兄弟たちが持ち備えている資質がそこにあった。


そして何より面白いことに、

私が彼らにそれまで持っていたイメージとは真逆のものだった。


真実の愛を求めていた彼女は、

彼女自身が愛だった。

混乱の中にいると思っていた彼女は、

とんでもない静けさをたたえていた。

私に罪ばかりを意識させるやつだと思っていた彼は、

あらゆる罪を赦しとかしていく存在だった。


これは一体どういうことなのか。

すべては私の勘違い(笑)。

私が作り上げた虚像だったのではないか。


恐れはあなたが作り出したというコースの言葉そのものじゃないか。


赦しはそれを一瞬で消し去る。

その私を赦す。


これから私はその彼らの大いなる愛だけを見る。

たとえ自我の誘惑に誘われようとも。


彼らの無罪性を見ることは、

自分の無罪性を思い出すことになる。


彼らにその真実を見ることは、

自分の真実を思い出すことになる。




絵:絵本「白い丘のもみじ」





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