2023年3月25日土曜日

私一人ではない


 

今回、コケたことで色々教えられた老いという恐れ。


体が動かなくなって、不自由になる。

自分で何もできなくなって人に頼る。

そのためにはお金が必要。家が必要。。。

しかし私にはない。。。


その漠然とした恐怖の中で生きる。



最近通い出した25mプールの中は、

私も含めて100%老人たちで埋め尽くされている。


彼らの心の中は、自身の体のことで頭がいっぱいだろう。

この体をちょっとでも快適にするために。


その思いを私も共有していた。

ちょっと足をくじいただけでここまでの思いが浮上する。

大病を患った人の心はいかばかりか。


その心は自分を責める気持ちでいっぱいだろう。

あの時もっと制御していたら、あの時、、ああ、あの時も、、、。

しかし悔やんでも仕方がなく、絶望の中で小さな光を求めて生きる。


後悔と絶望。。。

老人たちはこんな思いを抱えて生きている。


プールの後、JAに行けば、そこにも介護の人に付き添われた老人たちだらけ。


心は体とお金のことでいっぱいだ。

この私はといえば、お金もなければ保証も全くない人生。


老いてきて、ますますリアルになってきた。

なんでこうしてしまったんだろう。あの時ああやっとけば。。。


老いが考えさせるお手本みたいな思いが押し寄せる(笑)。


体というこの厄介なものと、それを少しでも快適にさせるためのお金。

この二大巨頭を求めて人間は彷徨う。

この世は地獄だ。




自分の心の中を見れば見るほど、

ものすごい恐れの中で生きているのがわかる。


それを目先の楽しいことで気を紛らわす。

見ないことにする。なかったことにする。一瞬忘れる。

その気の紛らわせでかろうじて生きている。


私にはそれができなくなった。

ごまかせなくなった。

人はどんな思いを人知れず抱えているのか、

自分の思いを通して見えるようになってきた。


それは私一人が抱えている恐れではなかった。

この世界に生きる全員が抱えている恐れだ。


私一人ではない。

今はそれが私を支えてくれている。


プールで泳ぐ50人ぐらいの老人たちを愛しい気持ちで眺める。

泳ぎながら心に愛が広がってくる。



明け方、

徹底的に自分を責める心で起こされる。


部屋のアレが汚い。あそこを綺麗にしなければ。。

そう思って起き上がって綺麗にする。しかし心は晴れない。

当然だ。本当はそこが問題ではないからだ。

自分の存在自体を責めているのだから。



私は自分の闇に向かい合う。

正直にそれを聖霊に語る。


闇は手放されるために出てくる。

私の中の全ての闇を光に捧げたい。


そして今この瞬間にも、私と同じ悩みを抱えている、

この世界のどこかの誰かも、

ともに癒されるよう祈る。


私一人が抱えているのではない、

この苦しみをがともに癒されることを願いながら祈るとき、

私の心は広がる。


個の自分ではない何かに触れている。


心が癒されていく。





絵:「縁側ネコ」





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