2023年2月12日日曜日

自分は正しい

「人は自分が正しいと思うものなのよ。。。」


その言葉を聞いた時、ドキッとした。

ああ、私のことを言っている。



その後「お前のやり方を強要するな!」と怒られる。

自分のやり方だけが正しいと思うなと言われた。


私は自分の正しさと間違いの中で苦しんだ。


先日、誰も間違っていないなどと書いた自分が恨めしい。

ちっともそう思っていない!


二人とも正しい。。。

そういうところに行けない私がいた。




自我の中では、自分が正しいと、相手は間違っていて、

自分が間違っていると、相手が正しいとなる。


しかし後者は、はっきり言って受け入れがたい。

「私が間違っているんだ、、、」とは。


だから心は延々と、

「いや、だから、、、そうではなくて、、、、」

と、言い訳と、正当化で、一人エアー演説を繰り返し、


挙句に、「いや!やっぱり私が正しいっ!!」

と、暴れまくり、

どうにかして自分が正しいはずだ!という決着を探し続ける。

しかしここに決着はない。終わりのない葛藤。



また「人は自分が正しいと思う」という言葉は、

暗に「つまりそう思うあなたは間違っている」と促している。


だがそこに、そう言って発言する私は正しいという、

もう一つの正しさが見え隠れする。


相対的な意見をいう位置に立ちつつも、

相対的な位置に立つ私は正しいということになる。


どのみち、正否を問うものは、どちらも不幸にするのではないか。



だから私は別の見方がしたいと思った。


この「正しいものがいて、間違っているものがいる」

という間違った信念の訂正を聖霊にお願いした。




朝起きても心は晴れなかった。


静かな時間の中、ふとキリストならどう見るのだろう?と思った。


もしここにキリストがいて、これを見るなら、どう思うのだろう。


その時、優しさと温かさが現れ、慈悲の心があふれた。


ああ、正しい、正しくないなど、どうでもよかったのだ。


差異を見る必要もなかった。

誰かに何かをする必要もなかった。


私たちはひとつなのだった。



行きつ戻りつしながら、ゆっくり真実を思い出していきたい。




絵:「飛び石」





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