2022年10月13日木曜日

ねえねえ聖霊さん、


私「聖霊って、なんだろう?」


ダンナ「わからん。」


私「わからんよね~~~」


でも確かにいる。

だんだんそれが確信になっていく。


香港さんの兄貴みたいに、人の形が見えるわけじゃない。

私には何にも見えない。

かと言って、もわ~ッとした煙でもなさそう。


あえていうなら、私にとっての聖霊は、考え。

考えって言った方がしっくりくる。


ちっちゃい時、いつも誰かが近くにいてくれた。

墓場で一人で遊んでいた時、

形は見えないけど、何かの存在を感じていた。

そのことを思い出させてくれる。


60過ぎのおばさんが、なに小学生みたいなこと言ってるんだろう(笑)。

でも心はだんだん小学生に戻っていく。いや、幼稚園児かな?


「聖霊さん、聖霊さん、ねえねえ、あなたならどう見るの?

ねえねえ、あなたならどうこれを考えるの?おせーて」


ほとんどお前は幼稚園児か!ってぐらい、聴きまくる。

しかし。

母親と違って、何の反応も来ない(笑)。


だけど必要な時、何かの考えが浮かぶ。

今まで思っても見なかった方向の考えが。


その時はっきり分かるのだ。

この考えは「自分が」思い浮かべた考えではないことを。

過去から引っ張り出してきた、聞いたことのあるアイディアではないことを。


それは次元の違う考え。

この水平線からは見えない視点。

上から見ないと見えない視点。


それは不意にやってくる。

そっと。ささやくかのように。



そんな風に、何かが守ってくれているから、安心して過ごせる。


例えば、どこかが痛くなっても、聖霊と一緒にそれを見る。

その痛みを聖霊と一緒に赦す。

恐れが出てきても、それを聖霊と一緒に見る。

その恐れを一緒に赦す。


自分が今何を感じているのか、考えているのかを正直に聖霊に話し、

(もちろんスゲーえぐい感情もみんな吐露するのさー)

それを一緒に見て欲しいと願い、

そして一緒に赦す。



たったこれだけのことなのに、心が次第に癒されていく。




絵:「秋の音」



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