2022年9月27日火曜日

人に勧められない(笑)



 コースのおかげで、私は平安を知り始めた。


しかしこれを人に勧めていいものかどうか悩む。

はっきり言って過酷だからだ。


先日相談に来た人も、自分の心を見ることがどれだけ恐ろしいかを私に教えくれた。


1年遅れで一緒にコースを学び出したうちのダンナ。

彼は自分の中の罪悪感にピンと来ていなかった。

しかし心を見るうちに、徐々に自分に罪悪感があることに気付き始める。

そしてその罪悪感がどれだけ自分を翻弄していたかを知る。

今はその自分の露わになった罪悪感に苦しんでいる最中だ。

だがそれが偽物であることを形而上学を学んで理解し、

実践していく間にそこに光を見いだしつつある。



神の子、つまり本当の私たちに罪などというものはない。


罪はないのだと知識で知り、

「罪なんてないから~」と、ないフリをする。


それこそ自我の思うツボ。

罪悪感の自覚のないまま、隠蔽し続ける。

しかしそのままではいつまでたっても本当の平安はやってこない。


真っ黒いキャンバスの上にいくらピンク色を塗っても、

下地の黒がみえて、きちゃないままだ。


はっきりと自分には罪悪感がある!

という自覚があってこその、

訂正の訓練からの~、

無罪の自覚なのだ。

くわ~~~。



だから自分が一体何を抱えているのかを知るために、

徹底的に自分に正直にならなければいけない。

正直になるためには、

自分の心を見るという作業をしなくては正直になれないのだ。


その作業を一人ではなく、聖霊とともに見る。


しかしこれがきつい。

だって自分の心を見ることで最初に見えてくるのは、

自分の葛藤だからだ。

見れば見るほど、自分の闇を見る。


どんだけずるいか、

どんだけしたたかか、

どんだけ残酷か、

どんだけイヤラシイか。。。w


もう、「どんだけ~~~~~~っ!」って感じ。


しかしその自分の心を見るという作業が、

心の強さを作り上げる。




コースのすごいところは一冊の本の中に(日本語訳では2冊)、

自我の力動の解説の合間合間に、本当の私たちの姿をこれでもかと教えてくれる。


自我の闇を露わにさせつつ、

そこに聖霊の光を間髪入れず差し込み、私たちの心を正しい方向に導いていくのだ。


闇など一筋の光であっというまに消えてしまうがごとく。





奇跡のコースは、


もうこんな世界に一秒たりともいたくない!とか、

なんかこの世界、めちゃくちゃ変だ!絶対おかしい!


と、この世界でなんとかして幸せになろうという思いさえも失われて

絶望しつくしてしまった人に響く。



そんな方々にオススメです。


(どんだけ~~~~っ!)





絵:水引草






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