2021年11月6日土曜日

選び直せるものがある

 


夜寝る前、旦那に話しかけた。

すると「今本を読んでいるから」と断られる。


その時は別になんとも思わなかったが、徐々にある感情が私をひたひたと襲い始める。

「拒絶された。。。。」


私の中に拒絶されたことへの怒りがだんだん膨らんでいった。


「やばい。。。これ来た。。。」


断った旦那が悪いわけではない。

これは自分の中にある、拒絶されることへの恐れが浮上してきているのだ。


拒絶される。

見捨てられる。

自分には価値がない。


心が台風のようにものすごい勢いで暴れまくっている。

この怒りをぶちまけたところで、それは何の解決にもならない。

ここでこれと向き合わない限り、またやってくる。

今がチャンスだ。。。。


荒れ狂う嵐の中で息をひそめてじっとしていた。

こんな時、赦しも訂正も使えなかった。ただ沈黙を守る。


少しづつ嵐が収まってくる。暴風雨は風が止み小雨になり、やがて上がっていった。



見捨てられる感覚は昔からあった。

小学校でのいじめ。父の暴力。

生きている価値などないと思い知らされる過去の日々。

父は死に、私はもう還暦だというのに、

あの壮絶に惨めな感覚はまだ私の心に残っていた。


私の中にあるこの信念。無価値で、拒絶され、見捨てられるという信念。

この考えを持ち続けていて、嬉しいわけがない。いつもこの信念に惨めさを味わわされてきたのだ。

もうこの考えは私には必要ない。

その考えを消していける方法があることに救われる。


聖霊にこの考えを捧げる。

「この考えを取り下げます。聖霊さん、取り消してください!」




夜中目が覚めた。

心に馴染みのある感覚が戻っていた。

それは自分を否定する感覚。


心に内側があるとすれば、その内側の壁に、

薄いオブラートのようにピターッと張り付いた自分を否定する膜があった。

その膜が私を声にならない声で否定し続けていた。


「ああ。嫌だ。この感覚。消えたと思っていたのに、まだある。。。」

陰鬱な気持ちになっていった。


「これは薄い膜だ。。。」


薄い膜の自我。

そう思った時、これは選択なのだと思い出した。


「私は自我を選ばない。自己否定を選ばない。」

と、心で言い続けた。


明け方目がさめると、オブラートは消えていた。




ああ、そうか。。心は常に選択していくのだ。

私の心に染み付いた自我の考え。

否定の気持ち、無価値観、拒絶感、罪悪感、、、

当たり前のようにいつもひょこひょこ現れてくるこの感じ。


その都度、自我を選ばない選択ができるのだ。


選択は二つに一つ。

なんてシンプル。



闇を選ばず、光を選ぶことができる。

重苦しさより軽さを選ぶことができる。


そうやって私は少しづつ自由になっていく。

本当の私に戻っていく。




私には選び直せるものがある。





絵:「ススキと高尾山」






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