2021年10月5日火曜日

静かな朝

 




朝目を覚ますと静かだった。


庭ではコオロギの声、鳥の鳴き声がする。

心の中で話す声も聞こえる。

だけど、し。。。ん。。。としていた。


心が静かだった。

静かなのは、自我の声だった。

自我が、何も喋らなかったのだ。


これを平安と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。

心の訓練をしていると、こういうことがだんだん起こり始める。


うるさかったのは自我の声だった。




私たちの心はほとんど自我の考えに占領されている。

何かしなければいけない焦燥感、未来への不安、誰かへの攻撃心。。

全ての元になっているのは恐れ。

その恐れが自我の思考体系。その思考体系を土台にこの世界は作られている。

作っているのは誰あろう、私。


私が自我とくっついて、この世界を作出し続けている。

さすが元は神の子。腐っても鯛。

創造の力は自我の思考体系と同一化しても、神のまねごととして、

この陳腐な分離の世界を作出し続けている。


だがもうそんな世界もこりごり。

恐れを土台にしてまねごとをし続けるのはやめにしようと思う。

そこには苦しみしかない。

たとえ一瞬の喜びがあろうとも、それはいつも束の間のものでしかなかった。




恐れている自分に気づき、その闇を光に捧げよう。

闇が入っている扉を開き、光の下にさらそう。

闇は光によって、一瞬で消える。


小さな恐れも、大きな恐れも、みんな同じ恐れ。

恐れと一緒になって動き回っていると、自分が恐れていることに気がつかない。


なぜなら私たちは巨大な闇を抱えていると信じて、心の中を見ようとはしないから。

でもそれがいつまでたっても心が穏やかにならない理由。

たとえ見ないふりしようとも、自分が持っている闇をなくせはしない。



だけど不快感を感じることで、そこにある自分の恐れに気がつくことができる。


自我である自分はその闇を消すことはできないが、

実は自我ではない自分がいる。

それは正直に自分が恐れていることを認められる自分だ。


正直に自分が恐れていることを認め、

そんな自分をどんどん赦そう。


どんどん赦すうちに、この世界は本当は実在していないということに、

理屈ではなく、心でわかり始める。


これはただ私が作り上げた夢だったんだと。





絵:アフリカの夜明け



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