2021年7月15日木曜日

こうである必要はない


明け方、大雨が降っていた。

目の前の川が氾濫するのではないかと、いつもなら怯える。

だけど先日の言葉があった。


「あなたが不安である時、不安感は自我の気まぐれから生じると認識し、

こうである必要はないと知りなさい」



ただ自我が、おそれを吹聴しているだけだ。

その言葉には何の力もない。


だけど心には力がある。


それは神の子の機能、創造する機能の一部が、

作出という形で表される。

だから自我によって吹聴された恐れを心の作出能力が作り出す。

そういう仕組みになっていると、明け方に教わった。


だから恐れは本当は機能しない。

だけどそれを受け入れた心がそれを生み出し、表してくる。

だから恐れたことは正しいと思わせていたのだ。


心と形が連動するのはそこだ。


だから心を変えていく。

恐れを自我の戯れだと気づき、関わらない。

恐れを許していく。


こうである(恐れがある)必要はない。



安心の中で再び眠りに落ちた。

目がさめると、雨は上がっていた。





絵:雨上がりの庭園

0 件のコメント:

コメントを投稿