2020年8月11日火曜日

川の流れのように〜

 


山の林道を散歩。

途中、川に足をつけてじっと目をつぶり、流れるあらゆる音に耳を傾けていた。

せせらぎの音、蝉の声、時々鳥が鳴きながら通り過ぎる。


川の水の音は、ぽちょぽちょ、サラサラ、ざあざあ、ポコポコ、ちょろちょろ、ザップンザップン、、、。いろんな音を奏でる。


これ、心の中の声と似てるなあ。


私たちの心の中に聞こえる声を観察していると、絶えず喋っている。

ちょっとのぞいてみるとすぐわかる。一瞬も黙っていない。

ああじゃない、こうじゃないと、絶えず喋っている。


昔禅寺で坐禅を組んだ時、心がどれだけ言葉の中にいるのか知り、沈黙とは程遠い自分を知ることになった。


流れてくるあらゆる言葉の中に、今旬である内容を見つけると、すかさずそれを掴んで、その言葉とともに一緒に流されていく。

だいたい掴むのは問題。楽しいことなんかほぼ掴まない。


私たちは、考えたら問題は解決されると思っている。学校のテスト問題のように。

そやけど現実はそんな風にうまくはいかない。


どちらかが正しければ、もう一方が間違っているってことになる。ということは、どっちかが嫌な気分になる。ケンカはお互いがどっちも正しいと言い続けて、両方が幸せ~な気分でうまく収まる答えなどない。


自我は考えたら、答えが出ると思ってる。

そやろか?よく考えたら、今まで一度もできなかった。もうストップ。自我に答えは聞かない。


川を流れるものは私のものじゃない。

頭の中を流れてくるこの声は私の声じゃない。


自我が私に「ほれほれ。掴むんだぞう~」と、仕掛けてくるトラップみたいなもんだ。今まで散々掴んできた。それに振り回されてきた。

確かに掴んだ時は一瞬楽しいが、そのあとはただ苦しいばかりだった。その苦しさを繰り返すのはもうたくさん。


だから川を流れる葉っぱを眺めるように、心の声もただ眺める。

眺めているうちに、消えていく。
どんなにいろんな言葉が表れようとも、それを掴まなければ
流れていく。

それはただやって来ては去って行く、幻のようなもんだった。



あれから心の中で美空ひばりの歌が流れる。


「あ~あ~ 川の流れのよ~に~ おだ~や~かに~

ただ見つめて~ いたい~。。。」

(チョット違いました)





2 件のコメント:

  1. いつもうなづきながら読んでます。更新楽しみにしてます!

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  2. 匿名さん、

    いつも見てくれているんですね!
    ありがとうございます!
    励みになります。

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