2020年2月11日火曜日

はてなし山脈



人は心地悪いものを見ると、心地よくしたいと思う。
気に入らない状況があると、それを気にいるように変化させようと思う。

私もそうやってきた。
親からも学校の先生からも、そうやるのが人としてあるべき姿だと教えられた。
なりたい自分になるため、努力して、勉強して、行動して、それなりにやってきたと思う。

だけどどこまでいっても満足しないんだ。
一山超えると、また向こうに一山が見える。

なりたい自分にちっともなれない。
そのうち老いがやってきて、今度は別の一山が見える。
今までは未来に向かって進んでたのに、今度は過去の自分を追い求めている。
もっと若かった自分、もっとスマートだった自分。。。(苦笑)

自分でいくら努力してもうまくいかないと、
今度は神社でお願いをする。
場合によってはお祓いをする。
それでも効かないと、
「知ってる神様じゃあ、らちがあかん。もっと地球の向こう側にいる存在に。。。」
と、スピリチュアルな世界に求める。
それでも効かないと、最先端の科学に求める。
量子力学、神様、宇宙人、天使。
ここまで揃ったら、千人力だ。

それでも、やっぱり効かない。
山はどこまでいっても「はてなし山脈」。



疲れ果てて、外にあるものに頼らなくなった。
内側を見始める。
そうすると気に入らないものの理由が明確に。。。

これはいいもの、これは悪いものという判断。
この判断が心地悪くさせていたんだ。

そしてそれは変えられることもあれば、変えられないこともある。

若いうちだと、そう思いたくはなかっただろう。しかし老いが近づくと、どうしよもなくそれを受け入れていくことになる。
一種の諦めが生まれてくると、その出来事に冷静になってくる。
そういう心持ちになってくると、それは実は変えようと変えまいと、同じことだとわかってくる。
そしてそれは変える必要もないことなのだとも。。。

変えようとするとは、欠けているものがあると認めることになる。
自分には欠けているものがあって、それを埋めなくてはいけないのだと言う静かな焦燥感があるのだ。
そう言うことに気がついていくと、その変えようとするものは実は自分の中にある恐れであって、その恐れから呼び起こされる衝動だった。

変えたいものを見続けることは、恐れを見続けることになる。そしてその恐れに力を与えることになる。消そう消そうとするたび、それは大きくなっていく。なぜかと言うと、その前提に「それは存在する」と自分でそれに力を与えているからだ。


ある、ある、ある、そこに問題がある。
と言い続ける限り、そこに問題はあり続ける。
そこに力を注ぎ続けるからだ。
自分で山を作り、それに必死で挑む。
自分が映った影が気に入らないと、必死でその壁を切り刻み続ける。
そんなことをし続けていたんだ私。



起こるに任せる。
それはどうしようもなく起こるのだから。

そしてそれを通り過ぎていくものであれ。

関わることによって持続させるな。
それはやがて消えていくものだから。
移ろいゆくものは、実在しない。



賢者の言葉は、そういう意味だったのか。

山を、
ただ山のままにしておくのだ。





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