2019年9月24日火曜日

コースのワークブックを終えて



奇跡のコース/奇跡講座/奇跡の道のワークブックを一年かけてやり終えた。

かなりいいかげんで不良な生徒だったが、自分がこんなふうに地道に心を訓練するような人間だとは思わなかった。
それだけ切羽詰まっているのだ。生きていくということに。

あろうことか、ウチのダンナまでワークブックをやりはじめた。
彼もずっと探求し続け、不二一元論のマハルシ、マハラジの教えを徹底的に読み解いて来た彼が、だ。
ふたりとも切羽詰まっているのだ、生きていることに(笑)。

奇跡のコースのワークブックは365個、一日ひとつの文言とともに一日を過ごしていく。早くても一年かかる。まじめなじっくり取り組む人は何年もかける。

ずっと信じて来た考え方を180度回転し、ま反対に向けるワーク。おいそれとは、一筋縄ではいかない。
自我とともに生きて来た私たちは、その言葉に絶句、抵抗し続ける。
そんなわけないやろ!あほか!と。
だから途中で断念する人続出。あの分厚い本は、ドアのストッパーにされるか、本棚の肥やしに収まる。
それでも買った人は、何年かのちにふと手にとってしまう。そしてあらためて読みはじめるのだ。

365章にまで行き着いて
「やったあー!ついに終ったー!」
と、諸手を上げてよろこんでいるのもつかの間、その後すぐにダンナがやりはじめた。

だから今一緒に読んでいる。
ワークブックは、一度で終らせず何クールもやる人が多い。
あらためて一年後に読み返すと、最初っから本筋しかいってないことがわかる。ど直球で一個のことしか言ってない。
一年前にこれらの言葉を読んでもさっぱり意味が分からなかったが、今はすこし理解しているのがうれしい。
きっと何クール目に入ったとしても、そのつど言葉の意味をもっと深く理解していくのだろう。

理解のひとつに「私は一人ではない」と言うことを気づかせてくれた。
いや本当は知っていた。ずっと前、当り前だった感覚。誰かとともにいたことを。

それがいつのまにか、たった一人でがんばらなければいけないのだと信じてやっていた。
私はこの世界をまったく知らないのだから、自分一人で必死で学んで、必死でついていかなければいけないのだと思って来たのだ。

だけど思いだした。誰かと一緒だった。いつも一緒だったのに、もうすっかり忘れていて、半世紀以上たっていた。
何かの存在を感じるわけでもない。誰かが横に立っているわけでもない。それなのに一人じゃないという感覚。ひとりぼっちじゃないという感覚。

その間、自我はひっきりなしに言ってくる。
「お前はひとりだ!一人でがんばらないといけないんだ!誰もお前を助けてなんかくれない!なぜならお前は無価値だからだ!」
ずっとその声に耳を傾けて来た。
そうだ。私は無価値だ。だからがんばってがんばってがんばらないと、この世界にいられないと。


それも今は小さな声になっている。
あの声は本当の自分の声ではない、と知っていることの安堵感。
言わせておけばいい。そのうち消えてなくなる。

コースは、頭の中に聞こえている声がいったいなんなのかを徹底的に教えてくれる。
あまりの徹底ぶりに、本を壁に投げつけたくなるほどだ。
投げつけてもいいんだと思う。
そのときその人は、正直に自分の心と向き合っている。



心を見ることは怖い。
それは見られると消えてしまう何かが、恐れを抱いているからだ。

その怖がっているものは、本当の私なのだろうか。


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