2019年8月4日日曜日

クーラーが壊れた



クーラーが突然動かなくなった。

「室外機のファンが回ってないよ」
外を見に行ったダンナが言う。
あー。こりゃ完全にアウトだな。
メーカーに電話。ちっともつながらない。一日待って電話。やっぱりつながらない。

ここにきて15年。毎年の夏をさほどクーラーを使わず過ごして来た。
使っても暑い午後の2、3時間だけ。日が傾くと消していたぐらいの必要性。暖房など使ったこともない。寒過ぎて効かないから。

その程度の関係性だったのに、いざ壊れて使えないとなると、がぜん苦しくなってくる。
どんだけ気分に左右されているんや私?
いつでも使えるからあ~んしんっ♥という保険をもらっていた、自分自身のそのあんちょこな精神にもハラが立つ。



やっとメーカーと電話がつながると、今度はあまりの修理の混みようでスケジュールが組めないから、営業所から直接電話させますと言う。ところがまたかかって来ない。ジリジリと暑い中電話を待つ。結局その日は電話がなく、翌日の午後電話がかかって来た。

しかしよろこぶのもつかの間、修理は5日後。それも時間もわからないと言う。
「ちなみにおいくらぐらいかかります。。?」
おそるおそる聞く。
「はい。。。少なく見積もって、5万円はかかるかと。。。」
「!」
ですよね~~。。。
とりあえずお願いして電話を切る。

ジリジリと責めてくる暑さに耐えられなくなる。今までどれだけ耐えていたんだ、私?
5日間この暑さ、耐えられるのか!?



心がどれだけからだに影響を与えているのか、手に取るようにわかる。
あるとおもっていたものがない。そう思ったとたん恐怖が襲いかかる。
怖れが全身に広がって、それまでの平安は跡形もなく消える。
こういう状況を意識的に与えられているのか。



すこし日が傾きかけた頃、さんぽに出かける。山の中は涼しい。川に手をつけてその冷たさを味わう。さっきまでの暑さが一気に消える。靴を脱いで足をつけた。この世が別世界に見える。川のせせらぎ、ヒグラシの声。山の声はなんて大きいのだ。大音響の中で自分というからだを忘れる。
からだを忘れた私に平安が戻る。山の懐にいだかれて、私も山も区別がつかなくなる。

明るいうちに夕飯を食べ、暗くなるまま電気をつけずに過ごす。山の稜線がくっきり現れはじめる。小さな星が見えた。開け放した窓からやわらかな風が川から遠慮しがちに上がってくる。弱にした扇風機が小さなリズムを刻む。
静かな心は暑さを忘れていた。



怖れは平安を消す。からだを意識し、熱を意識し、この世界が一気に存在感を増す。
心はここから早く逃れたい一心で必死で策を練る。未来の安心を買おうとする。

その後修理はキャンセル、知り合いに頼んで新しいのを買うことに。しかしそれもまだ未定だ。

心がいかに未来の安心を欲しがるのか見えてくる。
「いつ電話が来る?」
そう思うたびに、からだを感じ、かすかな怖れが起こり、暑さがやってくる。
このメカニズムをはっきり見ておこう。

今、午前9時27分。
今日はどんな一日になるのか。

自分では何も決めないでおこう。



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