2019年7月14日日曜日

雨の匂いをかぐ



ブログを更新しなくなってしばらくたつ。

ども。やまんばです。

日々の心の発見はあります。
しかし心のきびを描こうとすると、ぐたいてきなもろもろが出てきて、
色々差しさわりがある。

あれに触れるのはまずい、けどそこに触れないと、この部分が表現できない。。。
などなど、あちこっちの制限をかかえながら、言葉を選びながらブログに起こしていくのがめんどっちくなったのであります。


言葉ってとてもおおざっぱです。
悲しいって言葉は、ものすごくざっくりすぎる。
もちろん、楽しいも、腹立つも、おなじぐらいざっくり。
例えるなら、繊細な日本料理を厚手のゴム手袋をはめて調理しているようなもんです。

心はとてつもなく有機的で、激しく、からだの感覚や感情をともないながら、絶えず流動しています。

まったく言葉に表せない自分への否定の衝動、どんなにもがいても、ありとあらゆる手を尽くしても消せないことへの葛藤。
そうかとおもえば、何をするでもないのに、ほのかに漂う至福感。

心はとても豊かです。

それと同時に、いかに私たちが心を見ていなかったかを知ります。
そしてその心自体が、この世の不幸の始まりだったことを。



今、世間は選挙で盛り上がっています。
こうすればいい、ああすればいい、こうあるべきだ、ああするべきだ。。。
そうなれば幸せになれるのだと、声を大にして言います。

けれど、たとえシステムが最高になったとしても、きっと私たちはどこからか、また問題を見つけ出してきて、こうするべきだ、ああするべきだと、声を大にして言うことでしょう。


心ってそういうもん。
いつでもどこからでも問題をつくり出してきて、それさえ解決できれば幸せになれるって、言い続けるマシーンみたいなもんなんだ。

紫色の厚手のゴム手袋をはめて(言葉を使って)、
問題を探し続けるマシーン(探求の衝動)。

そんなおかしなイメージがわいたら、
そこから意識的に離れてみるのも手だ。



ほんとうは何も変えようとしなくて良かった。
ただただ心にふりまわされていただけなのだ。


今そんなところにいます。


雨にぬれる緑の匂いがここちよい高尾のふもとから。



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