2017年8月20日日曜日

自分へのイメージ/土塊と口うるさい女の子


やまんばの中に、自分へのあるイメージがあった。

二つの存在。
ひとつは、顔のないジャミラみたいなおおきな土のかたまり。
もうひとつは、赤いスカートをはいた女の子。

「私」は、土のかたまりのほう。
女の子は「私」の先生、物知り、指導者、ご意見番的な存在。


自分は土のかたまりでできたでくのぼう。なーんもできない存在。目も口も鼻もなくて、ただぼーっと佇んでいるだけの存在。

その存在の肩に座っている女の子は、赤いつりスカートをはき、赤い靴を履き、目は大きくちょっとつり上がっている。ムーミンに出て来るミーみたいな、口うるさい存在。

彼女はこの世のルールをよく知っていて、このでくのぼうに、ああしろ、こうしろ、あれじゃダメだ、これもダメだ、だいたいあんたはねえ~、といい、あげくの果てに、この能無し!と言い放つ。

でくのぼうの私は、その子の言うことをよく聞いた。そうじゃないと、この世についていかれないからだ。そうやっていつもその女の子に意見を聞き、お伺いを立てながら、ビクビクと生きて来た。

そう、そうやってずーっと、大人になってもその子の言うことを聞きつづけた。

ある日、その子の言うことが矛盾していることに気がつく。
AをBにしろ、というので、Bにしたら、今度はAにしろという。。。
おかしいな。。。とおもいはじめる。
その子の言葉は私にとって絶対だった。その声を聞くことが、この世を生きる術なのだと。しかしそのとき、それはほんとに、そう。。。?と。




そして、いろんな本を読んでいくうちに、その女の子は、私のマインド、思考そのものだったことに気づく。
そしてその土塊でできたでくのぼうは、その女の子(つまりマインド)が作りあげたイメージだったのだ。

本当の私は、土で固められた身動きの取れない何もできない小さな存在でもなく、限定された収縮した存在でもなく、どこにもない、そしてどこにでも偏在している存在であった。



この世に生まれて来て、やまんばは、その女の子を必要としたのだろう。
この世でしっかり頑張って生きなきゃダメなのよ!そのためのルールを教えてあげる!と教える側と、それを教えてもらう側の、コインのウラと表を作りあげたのだ。

それにずーーっと振り回され続けて来た。
その女の子の存在に。その言葉に。その怒りに。その葛藤に。。。


今は、その子はかわいい存在となった。
以前は大きな声で訴えて来たが、今はたまに耳元で囁く程度。それもただ聞いているだけで、やがて消えていく。
でくのぼうだと思っていた土塊も、いつのまにか消えている。

それをイメージとしてこの世に表してみた。
なんかふしぎな感覚。






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